※この記事は日経ビジネスオンラインに、2009年7月8日に掲載したものを転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。
2007年8月27日号より
世界の工場、総本山の広東省とベトナム北部を結ぶ国境ゲート「友誼関」は、「チャイナプラスワン」でハノイ周辺への展開を図る日系メーカーにとって注目の物流ルートだ。急ピッチで進むインフラ整備は、中国の対アセアン対策とも密接に関係している。
よりによってこんな場所の名前が「友誼関」とは、ベトナムに何とも皮肉な──。以前、ハノイに駐在する日本人からそんな話を聞いたことがある。
中国とベトナムを結ぶ国境ゲートの1つである友誼関は、広西チワン族自治区の憑祥市とベトナムのランソンの間にある。中国側の高速道路の終点が国境線上にある小高い山のトンネルにつながっており、これを抜けるとベトナム側の国道に直結する。この一帯は、中国と隣国を結ぶ国境地帯の中で、最も機能的に整備されたところの1つだろう。
ただ、歴史を振り返れば、ここはベトナムにとって忌まわしい記憶が残る場所でもある。1979年、中国は56万の軍隊をベトナム国境に集結させて威嚇。そして、まさにこの友誼関から戦車を送り込んでベトナム領を侵攻した。当時、大量虐殺が続くカンボジア政権を中国政府は支援していた。ベトナムがカンボジアに侵攻し、これを終結させたのだが、怒った中国は「懲罰的戦争」としてベトナム北部に攻め込んだのである。
その後、約20年にわたって国境紛争が続いたため、ベトナムは中国との国境の開放に慎重だったとされる。しかし、ベトナムは首都ハノイと友誼関の間の国道整備に踏み切った。幹線道路がつながったことは両国関係が新しい時代に入ったことを象徴している。
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