※この記事は日経ビジネスオンラインに、2009年7月8日に掲載したものを転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。
2007年7月30日号より
急成長する中国経済の象徴として脚光浴びる沿岸部。その対極にある内陸部は発展に取り残された貧しい地域として注目される機会も少ない。
だが、国境地帯ともなると、中国の動静を知るための貴重な観察対象になる。
辺境貿易を通じた隣国との密接な経済関係や、国境をまたがった民族による社会や政治のつながり、そして軍事動向に至るまで、アジアや世界における中国の位置づけも浮かび上がる。
では、中国経済をそんな“裏玄関”からのぞいてみよう。
雲南省最西端の町、瑞麗市へ向かう道のりは、良い天気が幸いして快適なドライブになった。小高い丘の中腹を真っすぐに走る国道320号線。左手にはサトウキビ畑が広がり、奧には新緑にもえる山の稜線が連なっている。
ついのんびりした気分になったのもつかの間、運転手の説明を聞いて少し身が引き締まった。「6~7年前には内戦の砲撃の様子も見えたんだよ」。目的地である瑞麗の手前20kmほどは、国道と国境線が平行して走っている。何気なく見ていた畑や山並みのほとんどは既にミャンマー領だった。
内戦が収まっても緊張は続いた。この一帯に麻薬の原料となるケシが一面に植えられていたのだ。ミャンマーで生産された麻薬は密輸で中国側に流れ込んで社会問題になった。ただ、それも中国政府の圧力により、今ではほとんどがサトウキビに変わったそうだ。
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雲南省はベトナム、ラオス、ミャンマーと国境を接しており、地元住民の往来が許可されている国境口は大小合わせると何十カ所もあるという。そのうち、税関などを備えて輸出入活動の経路として使えるゲートが10カ所あり、国の管理下にあって通関品目数が多い「国家級」と呼ばれる大型ゲートとなると4カ所しかない。
その1つであり、対ミャンマーで最大の国境ゲートがここ瑞麗にある。
1962年の軍事クーデター以来、ミャンマーでは軍事政権が続いている。約20年前に民主化運動が盛り上がり、アウン・サン・スー・チー氏に代表される民主化指導者が脚光を浴びたが、選挙に基づいた議会が招集されず、民主化指導者が軟禁されるといった軍政による弾圧はいまだに続いている。貿易の制限など欧米によって経済制裁を受けているが、軍事基地を提供するなど中国との関係は悪くないとされる。
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