※この記事は日経ビジネスオンラインに、2009年7月8日に掲載したものを転載したものです。記事中の肩書きやデータは記事公開日当時のものです。
2007年9月3日号より
昔シルクで今クルマ。ローマ帝国時代、中国の王朝による東西交易の拠点だった中国最西部の都市が中央アジア各国の「地下資源マネー獲得競争」に沸いている。国境の税関ではトラックが列をなし、物流、商談のハブ拠点であるウルムチでは不動産価格が急騰した。
ここまで来ると中国語が通じることが不思議に思えた。
西北の果て、新疆ウイグル自治区の区都、ウルムチの街を歩くと、人々の顔つきや服装、建物の雰囲気が沿岸部や中部と別物であることを実感する。中国人の大半を占める漢族の比率がここでは約40%にとどまる。45%を占めるウイグル族が多い地域に足を踏み入れると、今、どこの国にいるのか忘れそうになる。
新疆では1933年と44年にウイグル族など地場のイスラム教徒によって「東トルキスタン」の建国が図られたが、第2次世界大戦後の混乱期に中国に併合された。南に隣接する西蔵(チベット)と同様、少数民族への弾圧が続き、それを指揮する中国共産党には世界からの非難が絶えない。
現実には漢族の入植と「漢化」は確実に進んでおり、政治や経済の大半を牛耳っているのは漢族である。特に、商売の風景は中国各地で見られるのと同じだ。間口約数mの個人商店がひしめき合う大規模な商業ビルは、ウルムチ市内でも数カ所で見られる。
乾燥果物や少数民族の生活に密着した日用品、衣料は新疆の特色がある商材だが、中国沿岸部から2000km以上も離れていることを感じさせないほど家電や家具、日用品、建材も豊富だ。それもそのはず、ウルムチは中国各地からの商品が集まり、旧ソ連から分離したカザフスタンやキルギスなどの中央アジア各国から買い付けの商人が訪れる貿易の街という顔を持っている。
Powered by リゾーム?