計見 先の校長先生を笑うことはない。人間は危機に臨んだとき「精神力を奮い起こし、魂を鼓舞して」頑張るように作られている。国家や民族の存亡がかかっていればこの傾向は激烈化する。

 企業が苦況に喘ぐ時も。

計見 その際、「疲れました、もうついて行かれません」などという弱音を吐くヤカラは一喝されるか、戦時であれば処刑される。このあいだ、NHKが戦場のメンタルブレークダウンについて詳しく報じていましたが、第一次大戦の戦傷病兵の映像で、明らかな戦争神経症、今で言うPTSD(心的外傷後ストレス障害)の患者が銃殺されたと報じていました。怯懦の罪だそうで、フランス陸軍の中尉殿だったようです。

 集団が危機に瀕するときにこの傾向の極端化が生まれるのは、なにも日本だけの話ではない。アラブのジハディスト(殉教者)の自殺攻撃をアメリカのジャーナリストは「カミカゼアタック」と呼んでいました。

精神科救急医は、まず肉体を回復させよ

 へんな言い方になりますが、「心の風邪を治すなら、まず肉体の風邪を治してから」ということになるのでしょうか。

計見 それは君の理解にしてはなかなか当を得ています。私は精神科救急医として20年間に数千人の精神病急性期患者の治療に当たってきたけれど、そこでやって来たことは、実は精神の治療ではない。じゃ、何やってきたんだ? といえば、肉体の回復をひたすら優先してきました。

 具体的におっしゃっていただくと…。

計見 ことばでいえば「たっぷりと眠って、ゆっくり休んで下さい」です。それが出来たら「少しのんびり考えてみましょうか」になる。なにを考えるかといえば「来し方、行く末」だ。この部分はまあ「精神」療法と言ってもいいが、そこへもって行くのが大仕事で、実は全部うまくは行くとはかぎらない。うまく行かないのは、たいがいは肉体条件を軽視するからです。

 夜中に精神運動興奮状態で患者が搬入されたときでも、「からだをさわれ、接近して見て、匂いも嗅げ、腹だけじゃなくて背中もだ。よく見てさわれ」と年中若い医者に言い続けてきた。いくら言っても実行してくれる医者は少ない。しかたがないので、現役でなくなった今でも言い続けています。

 ふ~む。

計見 だって、医者だからこそ、遠慮会釈なくからだにさわれる。そこを存分に生かさない手はないでしょう?

 先生、さわって何が分かるのでありましょうか?!

計見 肉体の消耗が分かるのであります。

 疲弊消耗の程度に応じて、精神的な機能の損傷の程度もひどくなっている。幻覚妄想状態だから重篤だ、とはならない。幻の声を聞き、おかしな妄想にとりつかれていたって、さほど重症には至らず、回りの人間にとって無害に生きてる人は沢山いる。そういう人は大概は、良く寝て、食べています。

 さわって、休ませて、次に「来し方行く末」でしたか。それはどんなお話をされるんですか。

計見 まず、なぜそんなになるまで、疲弊したのか。「気がつかないうちにそこまで至っちゃたんだ。だいたい気がついてりゃそこまで行かないよ」というのが、おそらくは患者の本音でしょう。そんなに疲弊するまでに追い詰められた次第を語って貰うのが「来し方」を語ることであり、再び追い詰められない生き方を考えよう、というのが「行く末」です。

 なぜそんなにまで自分を追い詰めたか、その答えも多くは肉体を無視したからなんです。無視しているのは本人ではあるけれど、無視させているのは状況であり、労働環境で言えば過酷な仕事ということになる。

 なぜそこまで過酷な仕事をしたかといえば、つまり…

計見 そう。「精神力で乗り切れるはずだ」という考え方が根底にあるからね。「うつに負けない精神力を鍛えるには」だ。「こんなことで音を上げてたまるか」だ。前に君にインタビューしてもらった時にくらべて言えば、この2年間で、失業への恐怖がさらに拍車をかけているでしょうね。「職を失うよりは、気持ちを強く持って乗り越えたほうがいいじゃないか?」と。

 だけどこういう話をすると、多分こう言い出す人がいると思う。「心よりも体だ、なんていうお前が診てきたのは、本当に深刻な状況に置かれた人々なのか? 自殺するほど重篤なうつ病患者じゃないだろう」と。申し訳ないが、うつ病の猛烈な自殺企図を荒療治で止めたことは沢山あります。

 しかし、問題は、その患者には自殺の危険があるほどの状態か、そうでないか、ではないのだ。

 えっ。

計見 「ほとんどの急性精神病の人々は、死の一歩手前の人々であった」と私は思っています。自殺と等価な危機、死ぬ代わりに病気になったという人々が大多数だと。私にはそう見えた。だから救助せねばならないと思ったんです。

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