「ブックオフ」「俺の株式会社」創業者の坂本孝氏が亡くなりました。81歳でした。追悼の意を込めて、2017年8月4日に掲載した記事を再掲します。謹んでご冥福をお祈りします。

「俺のフレンチ」「俺のイタリアン」など30店舗以上のレストランを経営する「俺の株式会社」社長の坂本孝は、今でも10年前の決断を後悔している。
2007年6月に、自ら創業した中古書籍チェーン、ブックオフコーポレーションの会長職を辞任し、保有する株式の大半を売却したことだ。
きっかけはある週刊誌の報道だった。
「ブックオフ会長が取引先から不正なリベートを受け取っていた。決算書を改ざんしたり、直営店で架空売り上げを計上したりしている」。そう記事で告発された。
高成長を続けるベンチャー企業として脚光を浴びていたブックオフのイメージを一変させる事件に、社内は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。外部の専門家などで構成される調査委員会を発足させ、坂本ら経営幹部や社員に対する聞き取り調査が始まった。
結局、調査委員会は、坂本は店舗に什器を納入していた取引先からリベートを受け取っていたものの、「取引に直ちに違法性は認められない」とした。それでも不透明な取引であることには違いなく、坂本は受け取った手数料を全額、会社に返還した。さらに坂本にはコンプライアンス意識の欠如や、パワハラ的な言動があったと指摘された。
「くじけず、また事業を始めろ」
事件が起きるまで、坂本は「時代の寵児」としてもてはやされていた。05年、東京証券取引所1部にブックオフを上場させ、06年にはハーバードビジネススクールのベンチャーオブザイヤー賞を獲得。10年以上通い続けた稲盛和夫の経営塾「盛和塾」を代表するベンチャー経営者として注目されていた。
「自分の中におごりがあったことは認めざるを得ない」
坂本はそう述懐する。だが、「時すでに遅し」だった。
師と仰ぐ稲盛は、自分の利益ばかり追い求めるのではなく、常に相手の利益を考える「利他の精神」を唱えていた。その精神を踏みにじる行為だと見なされたからだ。
稲盛の怒りは想像以上だった。坂本は、東京駅に近い京セラの事務所の応接室に呼び出された。稲盛は両手で机をバンバンたたきながら、怒鳴り散らす。「あのまま、もうちょっと続いたら、飛び降りていたかもしれない」。坂本は今でも、その光景を思い出すと背筋が凍る。
稲盛は、坂本の心の奥底にある「闇」を消し去ろうとしていた。坂本はブックオフの会長を退任する際に、自分を裏切った人間が数人いて、彼らをどうしても許せなかった。そのことを、稲盛は周囲の話などから見抜いていた。
「おまえ、復讐しようとしているだろう」
稲盛に突然、核心を突かれて、言葉を失った。
「人を恨むのは、過去を引きずることなんだよ。それでは青空なんて、いつまでたっても見えてこないぞ」
その言葉に目を開かれた。「稲盛さんに喝破されなければ、今ごろどうなっていただろうか。もしかしたら、包丁を研いでいたかもしれない」
嵐のような45分が過ぎた。すると、稲盛はエレベーターまで歩いてくる。そして、最後にこう声をかけた。
「くじけちゃいけない。また事業を始めてみろ。できることは何でも協力する」
その言葉を残して、エレベーターのドアが閉まった。
「批判の嵐の中で、真っ暗だった人生がパーッと明るくなった。最後に人の心を変える言葉をかけてくれた」
坂本はその時、稲盛が最後の一言をかけるために、延々と怒鳴り続けたことに気付いた。
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