中央省庁の役人は過酷な残業など働き方も問題になっています。

石原氏:公務員志望者が減った理由は様々ですが、勤務環境の厳しさはあるでしょうね。ただ、政官の関係が影響しているという側面はなきにしもあらず、でしょう。

総務省の接待問題では幹部が処分された(写真:つのだよしお/アフロ)
総務省の接待問題では幹部が処分された(写真:つのだよしお/アフロ)

 私が役人になったころの各省の人事は、それぞれの官僚の世界で能力・人格が認められた人が幹部へと上がっていくものでした。最近は時の政権の好みによって人事がゆがめられているという批判がある。そうなると、志ある若者が官僚を選ばなくなってしまう。かつての、一生をかけて国民に奉仕するという公務員のイメージと違う。官僚が生涯を投じる仕事ではなくなってきているように思うのでしょうね。

そもそもの官僚制度の成り立ちは明治政府から、と聞きました。

石原氏:官僚の歴史を少しお話しすると、その始まりは明治維新で幕藩体制から近代国家に脱皮した時です。明治維新を推進したのは薩長土肥(薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩)ですが、明治新政府の指導者は優秀な人材を官僚として採用して近代化を進めることが欠かせないと考えたんですよ。中国でいうと「科挙」の制度、フランスも同じように官僚制度がありました。そこから明治政府は優秀な若者を登用するように変わっていったのです。

 その後、大正デモクラシーで政友会など色々な政党政治が華やかになりますが、結果、官僚の独立性が危うくなりました。政治と官僚組織が近くなってしまい、結果として昭和の軍閥の台頭を許してしまった。戦後、1947年に成立した国家公務員法により、官僚は国民全体の奉仕者であると規定されました。幹部官僚は一定の試験を経て、能力の検証を行って、行政を担うという枠組みが決まったわけです。

官僚が政権の意に従わないなど、官僚組織が批判された時代もありました。

石原氏:国家公務員法が制定されてからしばらくの間は、幹部人事は本人の能力の実証に基づいて決めるというのが徹底されていました。政治による恣意的な人事は行わないという流れでした。私が最初に官房副長官として支えた竹下さん(竹下登元総理大臣)は、各省の幹部人事に口出しすることも、人事をひっくり返すこともありませんでした。

 ですが、官僚の世界で序列が決まってしまうと、国民が選んだ政権との関係において官僚が必ずしも政権の思う通りに動かないこともある。官僚独善、みたいな批判もありましたよね。そういうこともあって、私が役人を辞めた後の話になりますが、(2014年に)内閣人事局が設置されました。

 幹部人事についての任命権は各省の大臣にありますが、幹部官僚の任用については内閣人事局がつくる名簿の中から選ぶことになります。その候補者名簿を官房長官がチェックするのです。幹部の実質的な人事権は各省の大臣から官邸に移り、今は官邸主導で行われているようです。