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 山形県鶴岡市は、人口12万人を抱える同県第2の都市だ。庄内藩の城下町として江戸時代から栄えた街だが、日本創成会議が2014年に指摘した「将来消滅可能性自治体」(2010年から2040年にかけて、20~39歳の若年女性人口が5割以下に減少する市区町村)に挙げられるなど、日本の多くの地方都市同様、苦しんでいる。

 その中で「サムライゆかりのシルク」として同市の絹産業を世界トップレベルの舞台に送り出そうという人たちがいる。鶴岡市の松ヶ岡開墾記念館を訪れ、絹産業の取り組みを見てきたのでリポートする(取材は緊急事態宣言発令前の3月に実施した)。

松ヶ岡開墾場として明治初期に旧庄内藩士たちが切り開いた場所に、今も5つの蚕室ほかいくつかの建物が残され、記念館となっている

絹のサプライチェーンが完備している鶴岡

 明治時代の1900年ごろ、鶴岡の絹生産は、日本の近代化を代表する成長産業だった。鶴岡の絹産業は日本で最初に産業化が始まった群馬県富岡市の富岡製糸場から機械とその操作方法を得て始まった。蚕の幼虫を育て生糸のための繭を得る養蚕から、生糸の製造、さらには織物・染色・縫製と製品化するところまで、鶴岡には絹産業のサプライチェーンすべてがあった。

 「現在もシルク生産のサプライチェーンがすべてそろっているのは、世界でこの鶴岡だけ。サプライチェーンすべてが残っているから、全分野の技術が残っていて、全分野で革新が行える。これまでと同じようにやっていて、日本のシルクが生き残れるわけがない」鶴岡シルクの大和匡輔社長はこう語る。