東京や深センなどで開催されているDIYの祭典、メイカーフェアはタイ・バンコクでも毎年開かれている。バンコクでのメイカーフェアを初期からサポートしているのが、Gravitechという企業だ。同社は2019年末、バンコク郊外の工業団地に新しい工場を建設した。1日1万ユニットの製造数を誇るPCBA(部品を実装したプリント基板)の製造ラインは、スマホなどの製造も可能な微細な組み立て設備を備え、PCBの調達含めてタイでのサプライチェーンを組み上げている。

Gravitechの新工場

 今はコンピューター教育プロジェクト関連で政府からの受注も多く、タイのメイカームーブメントをけん引するといっても過言でないGravitechだが、タイでイノベーションを起こすのは、長く困難な道だった。

成長したGravitechの社員たちを紹介しながら、自らの道のりを語るCEOのパン

 CEO(最高経営責任者)を務めるバンコク出身のパンは高校卒業後、米国に渡り、カリフォルニア州で電気回路の修士号を取得。その後、2008年にネバダ州で、Gravitechというオープンソースハードウエアの開発ボード企業を創業した。

 「まさにガレージで、友達数人と創業した。米国のスタートアップとして成功できたのは大きな経験だし、仲間たちの多くは今も一緒に仕事をしていて、彼らにはすごく感謝している」とパンは言う。

メイカームーブメントの黎明(れいめい)期、市場は大きくないがライバルも少ないパンの会社は順調に成長した。世界的な開発ボードArduinoシリーズのうち、Arduino Nanoの生産はGravitechが手掛けている。

 12年にクリス・アンダーソン氏の「メイカーズ 21世紀の産業革命が始まる」が出版され、14年には米国のホワイトハウスでメイカーフェアが行われた。3Dプリンターやハードウエアスタートアップに注目が集まる、メイカームーブメントが米国で起こった。

 当時30歳代の半ばだったパンは、メイカームーブメントを機に生まれ育ったバンコクにGravitech Thailandを立ち上げた。2015年のことだ。

 パンは当時を次のように語る。「会社を創業した08年とは違い、今ならタイでもメイカームーブメントを起こせるかもしれない、という狙いはあった。30歳代半ばになって、母国への貢献や母国での人生が気になるようになったこともある」

 中国では米国の大学を卒業して、高度な知識を武器に中国に戻ってくる若者たちを「海亀族」と呼ぶが、パンはタイの海亀族と言える。

 しかし、タイのビジネス環境は厳しかった。筆者は14年にバンコクを訪ねた際、いくつかメイカースペースを訪問したが、ほとんどはタイで暮らす欧米人が開設・運営しているもので、地元の産業とはほとんど関係のないものだった。当時、筆者が住んでいたシンガポールではすでにメイカーフェアが開催されていたし、日本では茨城県つくば市や神奈川県鎌倉市などにいくつかのデジタル市民工房があった。だが、14年当時のタイに、「メイカームーブメント」の土壌があったとは思えない。

 ホワイトハウスでのメイカーフェアをきっかけに、中国や台湾などアジアでもメイカームーブメントが爆発し、各都市にメイカースペースが続々登場した。パン氏が15年にバンコク中心部のショッピングモールに開設した「Home Of Maker」は、秋葉原にあるような開発ボードショップの機能に加え、米国法人での経験を生かして米キックスターターなどのクラウドファンディングへの出品をサポートする、スタートアップアクセラレーターやベンチャーキャピタルの機能も併せ持っていた。タイのメイカームーブメント全体をサポートするものだった。

 それでも15年の年間売上高はおよそ300万バーツ(約1100万円)だったと、地元メディアは報じていた。Gravitechの製品は面白いので、筆者の勤務先であるスイッチサイエンスでもいくつか輸入しているが、国内でのセールスは今ひとつだと当時は聞いていた。

 実際、深センなどの事例を見て、15年から16年にかけてバンコクではいくつものメイカースペースが登場したが、大半は数年で資金が尽きて、閉鎖されてしまった。

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