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1999年3月、倒産寸前だった日産自動車は、仏ルノーと資本提携した。ルノー傘下で、日産は抜本的なリストラを断行し、改革をやり抜くことができるのか。懐疑的な見方が多い中、日経ビジネス記者は早速フランスへ飛び、立て直しのキーマンに選ばれたカルロス・ゴーン氏を直撃した。日経BPが発行した書籍『カリスマ失墜 ゴーン帝国の20年』と連動するオンラインゼミナールの1回目では、日産入りする前のゴーン氏の発言から、その人物像に迫る。当初からゴーン氏はルノーと日産の合併を視野に入れていた。

 パリ、ルノー本社8階の廊下。現れた男は中肉中背、柔道選手を思わせる頑丈そうな体躯と猪首(いくび)の上に、眼鏡の奥、よく動く大きな目玉をつけた頭を載せていた。さあさあと招じ入れた黒を基調とする自室に目立つ装飾はなく、机には、何事かの途中だった跡が明瞭だ。「さあ始めよう」──およそ間というものを置かせない。インタビューは初対面の挨拶もそこそこに始まった。

 カルロス・ゴーン氏、45歳。1999年4月半ばには、東京の日産自動車本社に部屋を移しているはずだ。日産株式の36.8%を得て事実上の経営権を握ったルノーから、COO(最高執行責任者)としてやってくる。日産の未来と、日本近代史上にも稀な日仏提携事業の成否を、ともにその双肩に担おうという人物──。それは実のところ、どこかに無国籍の香りを漂わせる人である。フランス語の訛りが意外に目立たぬ英語といい、浅黒いその面立ちといい。

 「日本に行ったら、私の働いた大陸としては4つ目ってことになります」

 日本が大陸かどうかなどどうでもよい。異文化間の葛藤が容易に想像できる提携を切り回すのに、これほどあつらえ向きの国際人がよくもいたと思わせる。それがゴーン氏である。

(写真=Gamma Rapho/アフロ)

 ブラジル生まれで同国国籍。母がフランス人だからかフランスの市民権も持っている。元は父方の祖父がレバノンからの移民で、中東の産だ。

 パリで屈指のエリート養成校を卒業後、仏タイヤ大手ミシュランの南米、北米事業を手がけた。これで2大陸である。96年12月にルノーで働くためパリへ戻り、大陸としては3つ目。そして今度の東京勤務だ。

 「行きたいと自分から手を挙げたのではなかった。といって会長でCEO(最高経営責任者)のルイ・シュバイツァーに命令されたのでもない。自然に決まった」。日本赴任の経緯を語る。さもありなん。文化的遍歴のみならず、仕事の手腕から見ても、ルノーに余人はいなかった。