
次の落語は「百年目」という落語でございまして、これは三遊亭圓生師匠という昭和の大名人が磨き上げた一席でございますね。
僕らは「中手(なかで)」といいますが、落語をやっている最中に、「面白いよ」というお客様からのメッセージが拍手となって起きることがあります。この中手が「あ、乗っているな、今日の俺は出来が良かったな」という判断材料になるんです。
これは面白いシーンや笑えるシーンで来るのが普通なんですが、圓生師匠の「百年目」の場合は、泣かせのシーンで、「よくぞ言ってくれた」という心からの拍手が起きるわけですね。「百年目」、これは人情噺(ばなし)でございます。
どういう落語かというと、一生懸命、大店(おおだな)の旦那に尽くしていた堅物一辺倒の番頭が、本当はいっぱしの遊び人だった。そのことが、花見の席で旦那に知られてしまって落ち込む。
「積み上げてきた信用が崩れ去ってしまった。せっかく来年は店を持てると思っていたのに、旦那に遊び人の印象を与えてしまって、俺はもうだめだ」
そう思って一睡もできなかった翌日、旦那がその番頭を呼んで諭(さと)す。この諭しのシーンで、中手が起きるわけでございますね。
結論を言う前の一言で相手との関係は変わる
この「百年目」から学べるのが、ターニングポイントなんです。こんこんと旦那が番頭を説教する。今の世の中のように効率第一の世の中ですと、いきなり結論から先に言って、「お前はこうだ」みたいな形で相手を追い込んでしまうんですけれども、この旦那は違います。
旦那は番頭にこう言いたい。「お前さんはよくやっている。辛抱して頑張ってくれている。来年は必ず店を持たせるからな」と。それからもう1つ大事なのが、「あんなに遊んでいるお前さんだから、大きな穴をこしらえているに違いないと思って、元帳を見てみたら、一切の抜かりがなかった。よく辛抱してくれた。お前さんは立派な男だ」ということ。このことが言いたいんですけれども、これを言う前にこう言うんですね。
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