#12
「のれん」の正体を知っていますか
ビートルズとマイケル・ジャクソンで理解するファイナンス
今回のテーマは、ファイナンスです。会計は過去を見るものですが、ファイナンスは未来を見ます。このことは、ビートルズの楽曲の著作権を巡るエピソードで考えるととてもよく理解できます。
未来を見るファイナンスの考え方は、企業買収の際に欠かせません。なぜなら、会社を買うかどうかは、将来その会社がどれだけ「稼ぐ力」を持っているかが決め手となるからです(詳しくは以下の動画でご覧ください。無料でご覧いただけます)。
田中靖浩(公認会計士):最終回の今回のテーマはファイナンスです。
白井咲貴(日経ビジネス):ファイナンスですね。
田中:結構、ビジネス書のコーナーでファイナンスの本ってよく見ますよね。会計とファイナンスは近くて遠い親戚のようなもので、どんな関係なのか悩む方も多いと思うんです。簿記が基礎にあり、決算書がその次にあって、財務会計、管理会計ときて、最後がファイナンスという感じです。
基本的には会計は過去の記録計算なんです。今までやったことの結果を明らかにするために日々帳簿を付け、決算が終わったらそこまでの記録、計算を行い整理するのですから、過去を見ているんですよ。株主総会や決算発表で説明されるのは、前年の業績でしょう。
白井:そうですね。
田中:取材に行っても、経営者に「昨年の業績は?」と聞きますよね。
白井:はい。
田中:しかし、ある会社をM&Aで買うかどうか迷っている経営者にとっては、その会社がこれまでどれだけもうかったかを見ても意味がありません。会社を買うかどうか意思決定する際に関係するのは、未来ですよね。
白井:これからどれぐらい伸びるかどうかですね。
田中:そうです。今後、いくら稼ぐのか、株価がどれくらい上がるのか、そういったことが大事です。これは、経営だけでなく私たちの生活でも同じですよね。恋愛だってそうでしょう。大事なのは過去ではなく、未来ですよね。
過去を扱ってきた、非常に「ネクラ」な会計から、「ネアカ」に飛び出そうよという試みが、ファイナンスと言っていいでしょう。未来を生み出すのがファイナンスです。
白井:ファイナンスは未来なんですね。
田中:「将来キャッシュフロー」という言葉もあり、明るいんです、ファイナンスという学問は。ただ、難しいんです。将来のことは分からないので、数学モデルや統計を使うことになりますから。
今を見たヨーコ、未来を見たマイケル
『会計の世界史』(注:田中氏の著書、日本経済新聞出版社)という本の中でファイナンスを説明するときに使ったエピソードがあります。ビートルズの楽曲著作権をジョン・レノンとポール・マッカートニーが持っていないという悲惨な話です。
レノンとマッカートニーは2人で作曲していました。幼なじみの友達同士。「こういうの良くない?」「こっちのほうが良くないかな」とやっているうちに、どっちが作った曲なのか分からなくなっていく。レノン=マッカートニーの共作という形でやっていくんです。
この、レノン=マッカートニーの楽曲、数百曲の著作権をある会社に移してしまった。これはどうやら節税対策だったようです。イギリスは税金が高いので。
これが痛恨でした。著作権を譲った会社を上場させたからです。この会社の株式の所有者は転々と変わり、自分たちは楽曲の権利を持てないという状況になった。ポールがやっと権利の買い戻しのチャンスを得たのはジョン・レノンの死後です。価格は当時のレートで90億円に高騰していたそうです。
自分の楽曲の権利を買い戻すのに90億円。ポールはオノ・ヨーコに相談して、半額の45億円ずつ出して買い戻そうと言った。ところが、オノ・ヨーコは「高い」と言って拒否した。
そして驚いたことに、マイケル・ジャクソンがこの権利を買ったんですよ。当時のレートで130億円を払ったそうです。
ここに会計とファイナンスの違いが存在すると私は思います。ヨーコは支払う金である90億円を見て「高い」と思った。それより高い金額を支払ったマイケルは、得たものがいくら稼ぐかを見た。
白井:なるほど。
田中:つまり、ヨーコは「Now(今)」を見た。自分たちが作った曲に何でそんなお金を今払わなければいけないのかと、過去から現在を見てしまった。マイケルは130億円払うことからスタートし、それがいったいどれだけの金を稼ぐかという未来を見たのです。130億円という金額は高かったとしても、それよりも高いリターンを生むのであれば「Go」ですよね。
白井:そうですよね。
田中:いくら払うかをコストとしてだけ捉えるのではなく、投資としていくらリターンを生むか、その兼ね合いを見なければいけません。会計は、コストでしか見られないんですよね。
このエピソードから分かることは、数字には過去と未来があるということです。会計は基本的に過去ばかり見ている。ただ、マネジメントにおいて重要なのは未来です。未来がもっとも重要になるのが、企業買収です。買収価格は今のバランスシートで決まるものではなく、将来どれだけ稼ぐかで決まります。それを理論的に補強してくれたのがファイナンスという学問なんです。従来の会計では出てこなかった考え方です。
「のれん」とは何か
田中:最近では、M&Aに関連して「のれん」という言葉を聞きませんか。
白井:はい、よく聞きます。
田中:「のれん300億円」とかいいますが、なぜ、のれんが300億円もするのか、分かりませんよね。
白井:分からないですね。
田中:まるで、ダイヤモンド製ののれんみたいな感じです。のれんは、営業権という意味なんです。英語で「goodwill=グッドウィル」、営業権という意味で、超過収益力などと訳します。
基本的に買収は、相手の会社のバランスシートを買うことになりますが、バランスシートの金額だけで買収価格は決まらないんです。買収価格は、基本的にはその会社を買うことによって、その会社が将来いくら稼ぐかの「読み」によって決めます。これは「マイケル的発想」ですよね。
将来、買収した会社から得られるであろうリターンが「将来キャッシュフロー」です。買収の際は、この将来キャッシュフローを見積もって、買うか買わないか決めます。
図のように、のれんと買収する会社の資産の合計が、買収金額です。
バランスシートの資産は大したものではないけれども、ノウハウを持っていたり、経営者にカリスマ性があったりしてよく稼いでいる会社もあります。バランスシートの純資産の金額より多額の金が買収にかかることがあります。この差額が、のれんなのです。
白井:なるほど。分かりやすいですね。
田中:超過収益力というのは、こういう意味なんです。実際に実物資産として評価された金額を上回る収益力がある。言い換えれば、将来稼ぐ力を持っているから、高い金額でも買収する価値があるということです。
なお、のれんについては、減価償却するかしないかを巡って、国際会計基準の分野ではもめています。
白井:そういうことだったんですね。
企業価値とは何を指すのか?
田中:将来キャッシュフローを見積もった金額のことを、最近漠然とですが「企業価値」と表現しています。
白井:よく聞きます。
田中:企業価値とは何かと聞いても、多くの人は答えられないでしょう。何となく、漠然と企業価値と言っているだけで。
企業価値とは、ファイナンスの面から言うと、将来キャッシュフローの割引現在価値です。将来キャッシュフローを割引計算によって、現在の金額で表現し直したものです。そう考えると非常に分かりやすいと思います。
白井:はい。
田中:では、企業価値を高めるとはどういうことでしょうか。ファイナンス的に言うと、その会社が稼ぐ、将来のお金を増やすことにほかなりません。ここで重要なのは将来の金額や企業価値は予測にすぎないということなんです。1年後や2年後の企業価値は、全て仮定の話ですよね。
白井:そうですね。
田中:仮定の数値をもとに割引現在価値計算によって求めたのが企業価値であるとすると、全て仮定の計算になります。将来の企業の価値などフィクションにすぎません。それを信じるには、「この経営者に任せておけばやってくれるに違いない」という、経営者の人物に対する信頼がないと、なかなか難しいのではないでしょうか。
白井:難しいと思います。
田中:やはり、いい経営者でないと従業員は付いてきません。リーダーシップを発揮するためにも、経営者のキャラクターや、マスコミ受けの良さはとても重要です。企業価値のことを考えたら、経営者は自身の写真1枚でも手を抜いてはいけませんね。
社内外でのコミュニケーションをきちんとしていないと、「この人に任せておけば、将来大丈夫」だとは思えません。会計的な数値で測定される部分は、全部実績で分かります。でも、将来の話を語り出すと、そこに別の要素が入ってしまうからです。
白井:そうですよね。
田中:そこが難しくもあり、面白くもあるところです。会計は今、ファイナンスの要素を取り入れ始めていますが、これは、将来を取り込み始めていることだと言えます。キャッシュフローの見積もりといった話は、減損などの面で会計にも関係しています。
イタリアで簿記が生まれて500年たち、こんなところまで進んできたのかと思います。この先、どのように将来を取り込んでいくかについては未知数ですが、あまり不安にならずに、楽しんでいかないとだめですね。それが、将来価値を上げることではないかと思います。
ラインアップ(全12回、毎週水曜日掲載)
- 01 歴史と絵画で学ぶと会計はこんなに面白い
- 02 簿記と銀行がイタリアで生まれた理由
- 03 レオナルド・ダ・ヴィンチと決算の深い関係(前編)
- 04 レオナルド・ダ・ヴィンチと決算の深い関係(後編)
- 05 オランダの栄枯盛衰と「株式会社」「会計」の誕生(前編)
- 06 オランダの栄枯盛衰と「株式会社」「会計」の誕生(後編)
- 07 イギリスで発祥した「鉄道マニア」と減価償却
- 08 初代SEC長官はインサイダーで大もうけ?
- 09 会計ルールは「主導権を握った者が勝ち」
- 10 いかに効率よく働かせるか~原価計算と管理会計の誕生
- 11 管理職を悩ます「予算」は、あのマッキンゼー教授が始まり
- 12 「のれん」の正体を知っていますか
今回でこの連載は最終回となります
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田中 靖浩(たなか・やすひろ)
田中靖浩公認会計士事務所所長
1963年生まれ。早稲田大学商学部卒業後、外資系コンサルティング会社などを経て現職。ビジネススクール、企業研修、講演などで活躍する。著書に『会計の世界史』(日本経済新聞出版社刊)『米軍式 人を動かすマネジメント』(同)。田中靖浩公認会計士事務所
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