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 ところが、美少年で才能にあふれていることから、同業らのすさまじい嫉妬にあって、本当に苦しめられたようです。目安箱みたいなものが当時あったらしいんですが、悪口を書かれまくったらしいんです。

白井:大変だったんですね。

田中:今で言うと、SNSでちょっと炎上騒ぎが起こるみたいな感じでしょうか。「ちょっとあいつ、図に乗っているんじゃないか」みたいな感じで。ダ・ヴィンチはこういうことをやられて嫌気が差し、故郷のフィレンツェを離れたくなったようです。

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 それで向かったのが当時、新興国だったミラノでした。当時はスフォルツァ家が支配していた国です。新興国で成り上がりの王様というのは、パトロンに金を払うのが大好きなので、「あの国に行くと、王様が芸術家に金を払うぞ」っていう評判があったみたいなんです。私の想像ですけど、ダ・ヴィンチは人間関係に疲れたんだと思う。

 ちょうどそのとき、同じく招待されてミラノに行ったのが、ルカ・パチョーリという数学者でした。実はこの人が「簿記の父」といわれているんです。この人が簿記をつくったのではないのですが、もともと商売人の多かったベネチアやフィレンツェでは商売人が簿記を付けていました。みんながばらばらの手法で付けていたものを1つに整理してまとめた書物を作ったのが、このルカ・パチョーリです。

会計の歴史を変えるきっかけとなった数学書

 書物といっても、『算術、幾何、比及び比例全書(スンマ)』という数学全書みたいなものです。600ページに及ぶ大著ですが、この中の27ページを割いて簿記のことを書いています。これがルカ・パチョーリの成果で、この27ページが会計の歴史を変え始めるんです。

 それまで、決算の仕方についてコンパクトに整理した書物というのはなかったところに、「こうやるのですよ」と出したのが、ルカ・パチョーリの『スンマ』という本の中の一節でした。まずはイタリアの商売人がすごい勢いでこれを勉強し始めた。これがきっかけとなって簿記が普及したんです。

 たまたまですが、ミラノのスフォルツァ家のもとで、ダ・ヴィンチとルカ・パチョーリが出会う。文献を当たった限り証拠は得られなかったんですけど、もしかしたらレオナルド・ダ・ヴィンチが「ルカ先生を呼んだらどうですか」って王様に進言した可能性もあります。