町の伝説となった結婚式があったのは6年前のことだった。
よそ者、海に出る
大漁旗を翻らせた船が花嫁を乗せてやってくる。沸き返る住民は、海の幸と酒で小林武喜(通称「コバやん」)を手荒く祝福した。
それは、小林が小さな漁村に受け入れられた証しでもあった。
8年前、大阪のIT企業、鈴木商店の一員として、徳島県美波町の漁村にサテライトオフィスを開く任務を負ってやってきた。だが、壁は厚かった。
わずか30世帯が寄せ集まった漁村の集落は、「よそ者」に家を貸すことに抵抗を示した。空き家はあるが、貸してもらえない。そもそも家賃相場すらなかった。何度も足を運び、町役場の人にも協力を仰ぎ、契約にこぎ着けた。
小林は単身の母親に徳島行きを告げた。「一緒に行かへんか」。だが、母は首を振る。そこで、旅行として美波町に連れてきた。そして、町民は小林を迎え入れる雰囲気に包まれていた。それを見て、母の気持ちは変わった。
「この地区は、昔からお遍路さんがやってくる。両親が食べ物をふるまっているのを見て育った」。町議会副議長も務める舛田邦人は、IT企業が町にやってきた頃のことを忘れない。若い人々がオフィスの隣に農地を作り、収穫したコメや野菜を持って訪ねてくる。
「そりゃ、うまかったよ。だから、うちも漁師からハマチをもらうと、寿司にして差し入れする」(舛田)
小林は、目の前の海をながめているうちに、漁業に興味を持ち、地元の漁を手伝うようになった。深夜0時、まだ寒さが肌を刺す時間に船に乗り込む。沖に出ると、光のない漆黒の海が広がる。星が降り注ぐように光る。その時間と空間は、何ものにも代えがたい。
ひと月の半分は漁に出て、地元の漁師と網を引く。だから、結婚が決まり、大阪から妻がやってくることになると、若い漁師仲間たちが、漁船で花嫁が登場する演出を考えたのは、当然の流れでもあった。そして16年、美波町で小林の第1子が誕生する。
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