塩野義製薬・手代木社長の「理と情の先読み経営」

完結
11回
-
#1
「手代木マジック」前夜、社内はやさぐれていた
将来を危ぶまれていた塩野義製薬を高収益企業へと大改革した手代木功社長。その改革は「手代木マジック」とも言われるほど、鮮やかなものだった。だが、手代木氏が改革に着手する直前まで、社内はやさぐれ…
-
#2
塩野義・手代木社長「従業員には“ド本当”のことを話せ」
塩野義製薬を高収益企業へと大改革をした手代木功社長の「経営教室」。第2回は、「手代木マジック」とも言われるほど鮮やかな改革を、どのように実行していったか。最も大切なことは、従業員に包み隠さず…
-
#3
塩野義・手代木社長「従業員のためなら死ねる」
塩野義製薬を高収益企業へと大改革した手代木功社長の「経営教室」。第3回は、従業員は「家族」と同じと語る真意を手代木社長に聞く。2人の息子たちには、「俺が喜んで先に死ぬのはお前たち2人だけだ」…
-
#4
塩野義・手代木社長「どうせ潰れるから、一緒に行こう」
塩野義製薬を高収益企業へと大改革した手代木功社長の「経営教室」。第4回は、構造改革をする際にまず、何から手を付けるか。「社風改革」は重要だが、その前にまず、コストを減らすことが必須だという。
-
#5
塩野義・手代木社長「飲み会幹事は社長に向いている」
塩野義製薬を高収益企業へと大改革した手代木功社長の「経営教室」。第5回は、手代木流の人材の育て方。40歳までにマネジメント職向きか、専門職向きかを判断した方がいいと勧める。そして、マネジメン…
-
#6
塩野義・手代木社長が断言「勉強し続けない幹部は失格」
塩野義製薬を高収益企業へと大改革をした手代木功社長の「経営教室」。第6回は、厳しすぎて泣き出す幹部がいるともいわれる「社長塾」を実施する狙いを語る。その目的は「論理力」を徹底的に鍛えること。…
-
#7
塩野義製薬が「ミュージックフェア」を支援し続ける理由
塩野義製薬を高収益企業へと大改革をした手代木功社長の「経営教室」。第7回は、CSR(企業の社会的責任)活動についての考え方。手代木社長は経営難でも「ミュージックフェア」への協賛をやめなかった…
-
#8
塩野義復活の秘策は「研究部門の議論を公開したこと」
塩野義製薬を高収益企業へと大改革した手代木功社長の「経営教室」。第8回は、塩野義の復活させた「秘策」を明かす。内向き傾向にあった研究開発部門の議論を社内に公開したことで部分最適から脱し、本当…
-
#9
塩野義・手代木社長「従業員のために発信力を高める」
塩野義製薬を高収益企業へと大改革した手代木功社長の「経営教室」。第9回は、手代木社長が社内外への「発信力」にこだわる理由を語る。業界団体のトップを引き受け、メディアへの露出を強化するのはなぜ…
-
#10
製薬業界の常識は世間の非常識、国民皆保険は限界がくる
塩野義製薬を高収益企業へと大改革した手代木功社長の「経営教室」。第10回は、手代木社長が長期視点でどのようなことを経営の判断基準にしているかを明かす。その判断基準は社会保障制度の持続可能性。…
-
#11
上司に「見られている」幸せと緊張感で部下は伸びる
塩野義製薬を高収益企業へ大改革した手代木功社長の「経営教室」。最終回は、手代木社長が考えるリーダーの心得。48歳の若さで社長に就任した手代木氏。社長として会社を背負う覚悟はどのようにして固ま…
講師

手代木功
てしろぎ・いさお
塩野義製薬 社長
1959年12月宮城県生まれ。82年東京大学薬学部卒業、塩野義製薬入社。87年米国ニューヨークオフィス駐在。91年に帰国し開発渉外部に配属されるが、94~97年カプセル会社への出向で再び米国駐在。帰国後、社長室勤務を経て99年経営企画部長。社長の塩野元三氏(現会長)と二人三脚で塩野義の構造改革を進める。2004年医薬研究開発本部長、06年専務執行役員、08年4月社長就任。
おすすめのゼミナール
-
雇用のカリスマが斬る「間違いだらけのジョブ型雇用」
全3回
ジョブ型にしたら、社員をクビにしやすくなるのか?
-
インタビュー映像で読み解く世界の頭脳 リチャード・セイラー氏
全4回
セイラー教授(4)GAFAは行動経済学を積極活用、しかし日本は…
-
インタビュー映像で読み解く世界の頭脳 ポール・ミルグロム氏
全4回
ミルグロム教授(4)経済学だけでは複雑な社会課題は解けない
-
金融政策の混迷――リフレ派は何を訴え、何を残したか
全12回
リフレ派の功罪、そしてリフレ派がすべきこと
-
インタビュー映像で読み解く世界の頭脳 フィリップ・コトラー氏
全4回
コトラー教授(4)競争力向上のために日本企業がすべきこと
-
ケースで学ぶ「逆・タイムマシン経営論」(アーカイブ配信)
全6回
任天堂が好調な理由は「巣ごもり」「あつ森」じゃない、では何?