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 注目の美術展や企画展などのキュレーターが、見どころを語る本連載。単に訪れるだけでは分からないような隠れたストーリーなどもつまびらかにしながら、展示の見どころを語ってもらう。

 5月17日から4回連続で紹介するのは、現在、東京都美術館で開催中の「クリムト展 ウィーンと日本1900」。19世紀末のウィーンを代表する画家、グスタフ・クリムト。華やかな装飾性と世紀末的な官能性をあわせ持つその作品は、今なお、圧倒的な人気を誇っている。

 そんなクリムトの代表作など、過去最大級の規模で集めた展示の見どころは何か。東京都美術館の学芸員・小林明子氏が、より展示を楽しめるよう、クリムトの半生や作品を解説。クリムトは多様な美術品や伝統工芸、建築などからも刺激を受けて、作品に盛り込んでいた。そして当時、欧州で流行していたジャポニズムからも影響を受けていたという。連載4回目はクリムトの原動力となったものは何かを探る。クリムトには「少なくとも」14人の婚外子がいた。あまたの女性たちとの関係や家族の死は、クリムトの作品にどんな影響を与えたのか。

クリムトは、どんな思いに突き動かされて作品を生み出した画家だったのでしょうか。

東京都美術館・小林明子学芸員(以下、小林):クリムトは基本的に、注文を受けて制作する画家でした。もちろん自分の情熱で作品を描くこともあったと思います。特定の肖像画や分離派の作品などには思いもあるでしょう。

 ただ、何か個人的な思いを表現するというよりも、理念や哲学的なもの、象徴などを表現する作品を描いていたんだと思います。

 クリムト自身は55年の生涯、ずっと独身でした。とはいえ、女性関係はいろいろあって、婚外子が少なくとも14人はいたといわれています。「少なくとも」ですから、もしかしたらもっといたのかもしれません。

 そして、いろいろな女性との関係があって、複数の女性との付き合いがあったようです。モデルを務めた女性たちがクリムトのアトリエにはたくさん出入りしていて、そういう女性たちと関係があったようです。

 先ほど肖像画を紹介したエミーリエ・フレーゲという女性は、クリムトにとって永遠の憧れの人……恋人関係ではなかったけれど、生涯心から信頼していた女性だったそうです。そういう女性も一方ではいた。クリムトの生涯の中では、そういったいろいろな感情の起伏があったと思います。

 また家族についても、結構若いうちにお父さんが亡くなったり、その同じ年に弟の1人が亡くなったりしました。クリムトは家族思いだったので、そういう出来事が結構こたえたそうです。家族に起こった不幸や、付き合った女性の妊娠が、作品に影響したはずです。生や死というテーマに向き合っていくきっかけになった。

 先ほどの「女の三世代」という作品も、人生を表現しているという点では、やはりその背後に「死」があって、個人的な人生ともかなり関係していると思います。

クリムトの女性を巡る複雑な側面は作品からも感じられるのでしょうか。

小林:今回の美術展を監修したマークス・フェリンガーさんという方も、クリムトの個人的な人生と作品は、どこかでつながっているという見方をしています。もちろん、それはどの画家もそうだとは思いますが、クリムトにもそういう部分があるということです。

 商業画家とはいっても、クリムトはどちらかというと大衆的ではないものをやっていきたい気持ちがありました。たくさんの人にいいと言ってもらうよりも、少なくてもいいから、真の芸術を理解してもらうことを目指していた。だから売れるものをただ描いたのとはやはり少し違ったのでしょうね。

今回の美術展の見どころの1つが、『ベートーヴェン・フリーズ』です。

小林:『ベートーヴェン・フリーズ』は、今回複製を展示しています。

 クリムトが率いた分離派は、自分たちが作品を発表する「建物」を造りました。それは分離派会館といって、ウィーンに今もある建物です。この作品は、その分離派会館に描かれた壁画です。

 部屋をコの字にぐるっと囲むように描かれた大作です。この作品は名前の通り、ベートーヴェンの交響曲『第9番』が下敷きになっています。

 物語があって、黄金の甲冑を着た騎士が立っていますが、その騎士が幸福を求める旅に出る。旅の中で騎士を阻むいろいろな、「悪徳」に出合っていく。そして最終的には、交響曲『第9番』がそうであるように、歓喜の楽園にたどり着いて、幸福を見いだす。そういう騎士の旅路が描かれています。

グスタフ・クリムト《ベートーヴェン・フリーズ》(部分) 1984年(原寸大複製/オリジナルは1901-1902年) 216×3438㎝ ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館 (C)Belvedere, Vienna