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(前編はこちら

2014年に東京23区の中で唯一「消滅可能性都市」と名指しされた豊島区は、その後、人口が奇跡の復活。「Hareza(ハレザ)池袋」をはじめとする池袋駅前の再開発でも、攻めの姿勢を見せています。豊島区がV字回復するきっかけとなったプロジェクトは、15年に完成した新区庁舎「としまエコミューゼタウン」でした。

「区役所を建て直すと落選する」というジンクスが

「としまエコミューゼタウン」は、東京メトロ「東池袋」駅に直結する、地上49階、地下3階の超高層タワー。1階から9階が区庁舎、11階から49階がタワーマンションになっている。(写真:豊島区。以下特記なきものは豊島区提供)

タワマンと区役所を合体させたとしまエコミューゼタウンは、億ションをもじって「区役ション」などと揶揄もされました。

高野之夫豊島区長、以下、高野:それは「話題になった」ということですね。実は「区庁舎を建てると区長選で落っこちる」というジンクスがあるんです(笑)。

「本社ビルを建てると会社が傾く」というのもあります。この建物は豊島区にとって、どのような意味があったのでしょうか。

高野:1999年に区長に就任してから3期目までは、財政再建でひたすら辛抱でしたが(前編参照)、4期目(11年~15年)は区にとって華やかな話題が絶対に必要でした。

 豊島区の旧区庁舎は23区内でいちばん古く、老朽化が激しかった。耐震性もない建物で、使い勝手は悪く、区民と職員の双方にとって建て替えが長年の課題だったのです。区庁舎の新築はまさに区長選の争点になりましたが、ここで私が選出されたことで、区民の方々に認めていただいたと思っています。

高野之夫(たかの・ゆきお)東京都豊島区長
1937年、東京都豊島区生まれ。生家は池袋駅西口にあった古書店「高野書店」。立教中学校、高等学校を経て、60年に立教大学経済学部を卒業し、家業を継ぐ。豊島区議会議員、東京都議会議員を経て、99年に豊島区長に当選。現在6期目。(写真:編集部)

建築家の隈研吾さんがデザイン監修をされた区庁舎部分は、外壁が「エコヴェール」と呼ばれる緑の植栽パネルで覆われています。それが斬新で、また雑司ヶ谷霊園から見ると、都会の中に緑が連続するような眺めにもなっています。

高野:周囲の雰囲気が、一遍に変わりましたね。当初は区がタワマンを建てるのか、と批判もあったのですが、いざ完成したら、区民からは「区役所に行くのが楽しみになった」と喜ばれるようになりました。

今回、区庁舎に高野区長をお訪ねする前に、10階屋外に設けられた話題のビオトープ「豊島の森」を歩いてみました。1階のインフォメーションの方がテキパキと笑顔で迎えてくれて、エレベーターでは職員の方が「何階でしょうか?」とボタンを押してくださった。普通の商業施設よりもよほど親切で、びっくりしました。

高野:来館者の方には積極的に声をかけるようにと、職員には事あるごとに伝えているんです。

そもそも「駅前にボロボロの区役所」って変だろう

とはいえ、前編で伺ったように、豊島区の最重要課題は財政再建でした。華やかにやりたくても、区庁舎建て替えの費用などなかったのでは。どう捻出されたのでしょうか。

高野:当然ながら予算はありませんでした。ですので、建設費は民間にまかせるしかありません。そこでまず、区庁舎の敷地移転を前提にしました。そもそも池袋駅東口の一等地に、ボロボロの旧区庁舎が立っていること自体が、駅前の活気をそいでいたのです。

 移転先を東池袋駅直結の場所として、その敷地は東京都のまちづくり制度を使って、容積率を300%から800%に引き上げました。民間再開発事業と連携することで、デベロッパーの開発投資を呼び込むことにしたのです。

 折から駅近タワーマンションのブームがあり、大手のデベロッパーが手を挙げてくださいました。マンションは高値で完売。今では「その手があったか」と、各地の自治体関係者がひっきりなしに見学に来るようになっています。

土地の権利はどのような構成になっていたのでしょうか。

高野:この敷地には、複数の地権者さんが持つ土地・建物と、閉鎖後の区立小学校・児童館がありました。その小学校と児童館の跡地分が、豊島区による新区庁舎の権利床となります。地権者さんは、タワーマンションに権利床を所有することになります。