「融和」ももたらした抗議活動
ただし、香港の抗議活動がもたらしたのは分断だけではない。実は、多くの「融和」ももたらしている点は指摘しておきたい。
代表例が香港のエスニックマイノリティーだ。香港はかつて英国の植民地だったことから、インド系、パキスタン系、ネパール系など多くのエスニックマイノリティーが香港で生まれ、生活している。大多数の住民が中華系である香港において、彼らは長年差別されてきた存在だった。だが、今回の抗議活動を通して彼らへの見方が変わろうとしている。
香港民間人権陣線(民陣)の召集人である岑子傑(Jimmy Sham)氏は、10月16日夜に南アジア系の男たちに囲まれて路上で襲われ大量出血した。民陣は香港で多くの大規模なデモを主催してきた組織で、岑氏は一部の親中派の人々にかなり疎まれており、それ以前にも数度襲われている。民主派議員として今回の区議会選挙で沙田区から当選している。

当時は親中的だと見なされた店舗が、過激な抗議者に破壊されるケースが多くあった。そのために岑氏が襲われた際には襲撃犯と伝えられた南アジア系の人が多く集まる店舗やビル、宗教施設などが抗議活動の次の標的になるのではないかと危惧された。しかし、インターネット上でエスニックマイノリティーに関する施設を襲わないよう呼びかけられる。香港のムスリムの協会による「私たちは香港の人々と共にいる」という声明もあって、エスニックマイノリティーたちがその日の夜に被害を受けることはなかった。
翌10月17日にはエスニックマイノリティーが多く集まる尖沙咀で平和的なデモが行われた。エスニックマイノリティーが集まることで有名な重慶大厦(チョンキンマンション)では、エスニックマイノリティーによってペットボトルの水が配布され、地元メディアで大きく報道された。これはエスニックマイノリティー初のソーシャルワーカーとなったインド系香港人の企画だ。彼は普段からNGOで香港の難民保護に取り組むなどの活動をしており、これ以前にもエスニックマイノリティーを集めて逃亡犯条例改正案への抗議活動に参加してきた。
こうして抗議者からの好感を得たエスニックマイノリティーが「香港人」の一員として認められるチャンスを得た同じ日、警察がモスクに放水する事件が起きた。警察が抗議活動参加者を識別して逮捕するために、放水車から落ちにくい青色のインクが含まれた水を浴びせ、モスクが汚れてしまった。当時モスクの前には抗議者がいたわけではなく警察がどういう意図で放水したのか明らかではないが、後の記者会見で警察は、放水はミスによるものと認めている。抗議者はインターネット上でこの警察の行動を激しく非難するとともにエスニックマイノリティーに同情的な態度を取るようになる。
この日を境に、次々に香港の若者が重慶大厦をはじめとするエスニックマイノリティーの店にやってくるようになった。筆者はかつて重慶大厦で難民支援を行うNGO(非政府組織)のスタッフとして働いていたが、当時は重慶大厦は香港人にとって危ない場所というイメージがあり若者が近づく場所ではなかった。しかし、急に多くの若者がカレーをはじめインド料理・パキスタン料理などを食べにくるようになったのだ。エスニックマイノリティーもこれを自らへのイメージを変えるまたとないチャンスとして自分たちを知ってもらうためのツアーを実施し、多くの若者が参加したそうだ。抗議活動は香港におけるエスニックマイノリティーへの印象を大きく変え、彼らは自らを「香港人」として認めてもらうための大きな前進を果たせたわけである。
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