11月24日の日曜日、香港の抗議活動は山場を迎えることになる。香港で唯一民意を示せる「区議会選挙」が実施されるためだ。選挙結果は今後の抗議活動に大きな影響を与えることになりそうだ。香港中文大、香港理工大における抗議活動を克明に報告してきた若手日本人研究者、石井大智氏による現地緊急リポート第3弾。
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私は文化人類学を専門とし、特に香港政治から排除されたエスニックマイノリティーに焦点を当てて研究を続けている。本来は香港の政治についての専門家とは言えない立場だが、今や香港の政治的混乱は抗議活動や警察の強硬な制圧によって人々の暮らしに直接的影響を与えているため、文化人類学の研究という意味でも政治とは無縁ではいられない状況になっている。
日本でしばしば報道される「中国(香港)政府VS香港市民」という対立構造よりも現実は複雑だ。その点を理解しなければ香港が取れる選択肢や、それが暮らしにどう影響しているかを理解することは容易ではないだろう。
11月24日には区議会議員選挙が予定されており、香港政府に対する抗議活動が1つの山場を迎えることになる。前々回、前回と香港における抗議活動の実態についてリポートしてきた。今回は香港の政治状況を整理し、その上で区議会選挙の意味と展望について解説したいと思う。
「親中派」「民主派」だけでは説明できない派閥構成
日本のメディアでは香港には「親中派」と「民主派」がいる、と説明されることが多い。テレビや新聞のような時間や文章量に制約があるメディアにおいて、ある程度大ざっぱな説明になってしまうのはやむを得ないだろう。しかし「中国政府が香港の親中派と政府を操っており、民主派はそれに対峙している」というシンプルな図式では、香港の現状のごく一部しか理解できない。
日本のメディアで一般的に「親中派」と言われる人々は、香港では「建制派」と呼ばれる。英語では「pro-establishment camp」。establishmentとは確立したもの、それから転じて社会の支配階級を指す単語だ。つまり、建制派とは簡単に言えば階層社会である香港で社会の支配階級に当たるとされている人々のことを指す。
建制派はもともと2つのグループに分かれていた。「イギリス統治時代の香港政庁に近い経済界の支配者」と「もともと中国共産党に近い左派だった人」という2つのグループである。前者は植民地時代から香港の統治機関に近しい立場を取ることで経済的利益を得ようとする人々、後者は中国共産党と強い結びつきを持ち続けてきた人々である。
香港がイギリス領だった頃、両者は正反対の存在であった。だが、香港が中国に返還されたことで、香港政府への協力は北京の中国政府への協力と矛盾しなくなった。そして両者のグループは次第に一体化していき、社会の支配階級として香港政府の決定に強い影響を与え続けてきたのだ。
建制派が親中派であることは間違いない。だが、こうした経緯を知ると、建制派と言っても一枚岩ではなく、単なる中国政府の操り人形でもないことが理解できるはずだ。
「英領時代の香港政庁に近い経済界の支配者」によるグループは経済的利益がある限り中央政府と結びつくだろうが、いざ彼らのビジネスを阻害するようになれば中央政府を支持しないようになるだろう。一方、「もともと中共に近い左派」であるビジネスエリートたちは中国政府を支持しているように見える。しかし、それでも中国政府からすれば「香港人」であり、中国本土の共産党員と同じレベルで中国共産党の支配に組み込まれているとは言えない。
実際、今回の逃亡犯条例改正案についても、懸念を示した建制派とされる議員・関係者は多くいた。だからこそ香港政府は逃亡犯条例の審議を諦めざるを得なかったのである。
建制派は、結果として中国政府に寄り添った意思決定を行うことが多い。経済政策においては、建制派の意見と中国政府の意見の隔たりは少ないからだ。大陸から観光客が多くやってくれば彼らが経済的に潤うのは間違いない。また、香港が人民元のオフショア(中国本土外)の拠点となれば香港の金融センターとしての地位を強化することも彼らを経済的に潤わせることになるだろう。しかしそれは必ずしも建制派が中国共産党のイデオロギーに賛同することを示しているわけではない。逃亡犯条例改正案のような、香港の現状に対する著しい挑戦については中国政府の意向にかかわらず彼らも反対するのである。
中国国営の新華社通信などの報道を見る限り、中国政府は香港の状況と抗議者たちの論理を理解していないか、無視しているように見える。また、香港政府・行政長官は政治的決断に慣れていないと一般的に言われる。建制派もいまだ大きくは動かないし、彼らに抗議者の見ているものはそう簡単に理解できないだろう。現在の香港の政治は誰にも操作できないものになっていると言えるだろう。
大陸側にとって一国二制度は台湾も含めた「祖国統一」の手段であるが、香港にとってもそれが同じとは限らない(深圳にて)
民主派も多様な存在である。香港独立を目指すグループもあれば(独立派)、香港を中国の一部として中国本土の民主化を香港から進めていこうとするグループもある(伝統的な民主派)。もはや中国本土の問題は香港に直接関係あるものではなく、香港が香港自身の民主化を目指すべきだというグループもある(民主自決派)。
植民地から一国二制度へという歴史は、香港を近代国家システムの空白地帯に仕立て上げた。国のようであって国ではない存在であり、複雑さと曖昧さが香港の捉え方を人によって異なるものにしている。
また、こうした背景から「政治のプロ」がいないことも、香港の悲劇の要因だろう。返還前に香港政庁でトレーニングされた人を除けば、香港政府の官僚は基本的に政治的な問題の対処にあまり慣れていない。そのセンスと力量の欠如は、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官のこれまでの対応と発言を見れば自明であろう。だからこそ建制派は政府の決定に様々な影響力を与えてきたわけだが、経済的利益で結びついた建制派にしても政治のセンスを持っているわけではない。中国の政治研究者は「中国政府は自らの影響力強化のために建制派に政治的能力を持つことを許さないだろう」と述べており、中国政府も建制派が政治的決定力を持つことを望んでいないのだろう。
区議会選挙に注目する意義
来たる24日の日曜日には、香港の区議会選挙が行われる。逃亡犯条例改正反対に端を発する抗議活動が、よもやここまで続き、香港の「地方選挙」にすぎない区議会選挙が世界から注目されるほどのものになるとは昨年の段階では誰も思わなかっただろう。
ここで簡単に香港の区議会選挙について説明しておこう。香港の区議会選挙は、東京都の区議会選挙とは異なることに注意が必要だ。最大の違いは香港に公式な「区」という行政単位があるわけではないことだ。香港の区議会は一定のエリアに属する複数選挙区で代表者を選出して構成するものではあるが、その地域の条例や予算を決めるわけではない。あくまで香港政府に地域からの要望を伝えアドバイスをする機関という位置付けだ。
一つの選挙区は非常に小さく、地域によっては団地一つだけで一つの選挙区を構成する。そのため、バス路線の延長やATMの増設まで地域の非常に細かいことを公約として掲げる候補者も多くいる。今回の選挙では、地域とは直接関係のない「五大要求」の実現を公約として掲げる候補者も多いが、前述の区議会議員の位置付けを考えれば公約実現は容易ではないだろう。
何者かによって切り裂かれているが、バスの路線増便を訴える選挙の横断幕
そんな区議会選挙が、なぜここまで注目されているのか。
まず、区議会議員の選出は香港の「国会」に当たる立法会や、「首相」に当たる行政長官の選出とは異なり、(政府が議員資格・立候補資格の停止を行うことを除けば)完全なる普通選挙によって行われる。区議会選挙はある種の世論調査であり、逆に言えば抗議活動に対する民意も示されることになる。
香港の行政長官選挙は、1200人の選挙委員によって行われる。その選挙委員にも区議の中から117人が選出される。極めて限定された形とはいえ、直接的にも行政長官選挙の選出プロセスに影響する。
今回の区議会選挙では抗議活動に伴って有権者登録が広く呼びかけられた。したがって抗議活動に賛同する若者も多くが有権者登録をしている。比較的高い投票率が期待され、その選挙結果はこれまで以上に香港市民全体の意見を示すものと捉えられるだろう。
ちなみに区議会選挙は、国籍に関係なく香港の永住権を持っていれば投票できるし立候補もできる。
今回、香港島の中西区からはThomas Uruma(日本名:賣間囯信)さんという以前HSBCのプライベートバンキングのマネージャーだった日本人の方が立候補している。香港メディア「蘋果日報」のインタビューに「流ちょうな広東語」で答えたそうだ。彼は「民主、自由、法治のために投票してほしい」と呼びかけている。オランダ系で民主派である司馬文(ZIMMERMAN Paulus Johannes)さんは中国国籍に帰化しているものの、2015年の区議会選挙では建制派に2倍弱の差をつけて当選している。
大学生でありながら立候補している人もいる。以前、香港大学の学生会で外務秘書だった梁晃維(Fergus Leung)さんは私より1つ年下の1997年生まれで、中西区から立候補している。警察と抗議者の大規模な衝突があった香港理工大学の学生で、まだ21歳の陸梓峂さんも沙田区から立候補している。
香港理工大学の学生でまだ21歳の陸梓峂さんも立候補
抗議活動の今後を左右
言うまでもなく、今回の区議会選挙は抗議活動の動向から大きな影響を受けるだろう。私が聞いている限りでは、「香港中文大学での抗議活動は警察の突入がなかったのにもかかわらず、一部の抗議者が爆弾の製造や車両への放火など過激な行動に出たことで有権者の民主派への反感を生じさせた」という声は少なくない。一方、その後起きた香港理工大学での抗議活動では、抗議者よりも警察の強硬な姿勢の方が目立ち、再び中間層も含めた政府・警察批判が強まり、また民主派が有利になったように思える。ただ従来は民主派に投票していたが、今回の香港の混乱を終わらせるために、思想的には民主派でも、あえて建制派に投票するという声もちらほら聞くので、結果はそう単純ではないかもしれない。
「香港IDを持っているからといって香港人を意味するわけではない」。ここでは、投票などで行動しない香港人は香港人ではないという意味だろう。香港理工大学にて
香港の問題について、国際社会からできることは少ないだろう。中国政府は、香港に関する問題は中国の内政であると繰り返し述べ、海外からの干渉を拒絶している。そのため、人権問題として働きかけるほかはない。米議会は上院と下院で、香港での人権尊重や民主主義を支援する「香港人権・民主主義法案」を可決した。英BBC放送(電子版)は20日、香港の英国総領事館に勤務していた香港人の男性(29)が8月に中国で身柄を一時拘束された際、拷問されたと報じている。
しかし国際社会は、この選挙が抗議活動を反映するだけではなく、これからの香港に影響することを理解する必要がある。民主派が今回の選挙で勝利したとしても、抗議活動は終わらないどころかむしろ過激化する可能性もあるということだ。民主派は勢いづいて政府への圧力を強めるかもしれないが、結局は立法などで直接的な影響力を政府に行使することはできない。建制派が大敗北をすれば、建制派の中での責任問題が発生するだろう。現状でさえ政府をコントロールできていない建制派はさらなる混乱に陥り、誰も香港をコントロールできないという状況が長期化してしまうことが懸念される。
一方で可能性は非常に低いが、民主派が勝利せず建制派が現状程度の議席数を確保すれば、建制派や政府は「このままでいいのだ」という認識を持ちかねず、それが政府にさらなる強硬策を取らせることになるかもしれない。どちらが勝利してもさらなる混乱しか予想されないわけだ。最悪のケースは、一部報道で林鄭月娥行政長官が検討しているとされる区議会議員選挙が中止される場合に予想される混乱だ。
いずれにせよこの区議会選挙の結果は、今後の抗議活動やそれに対する香港政府の対応に大きな影響を与えることになる。だからこそ、香港だけではなく世界がこの選挙の行方を注視している。
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