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 香港の抗議活動の中心は香港中文大学から香港理工大学に移った。警察はキャンパスから出てきた人を軒並み逮捕する方針を示し、多数の逮捕者が出ている。中文大に在籍する若手日本人研究者、石井大智氏による現地緊急リポート第2弾。

 前回の記事で、香港中文大学での抗議活動と衝突の内情について執筆した。香港中文大学での籠城は最終的に抗議者側の撤退により、警察との大きな衝突を回避した形で11月15日金曜日の夜に終結した。そして大学での主戦場は九龍半島南部にある香港理工大学に移った。

 私は普段、中文大学キャンパス内の学生寮に住んでおり、理工大学にも多くの知り合いがいる。本稿では、いかにして中文大学での抗議活動が収束したのか。そして理工大学に舞台が移り、そこで何が起きたのかを、現場で感じたことや聞き取り、ソーシャルメディアなどからの情報を基に記しておきたい。

中文大学の二橋で燃やされた車(写真は筆者、以下同)

中文大学で生じた「仲間割れ」

 なぜ中文大学での籠城が終わったのか。現地での聞き取りや「テレグラム」などのソーシャルメディアの情報を総合すると、その理由は「仲間割れ」である。

 中文大学は山に囲まれており、MTR(鉄道)をはじめとした交通機関がストップして道路が封鎖された状況ではアクセスが非常に難しい。そのため当初キャンパス内の抗議活動に参加していた学生の多くは、中文大学の学生だった。その中には、香港政府や警察に反感を持ちながらも、これまでは暴力的なデモにあまり参加したことのなかった者もいただろう。そうした人は自分の住む場所に警察がやってきたことで、抗議活動に突然参加することになったのである。もちろん、抗議者とは異なる思想を持っている人が突然巻き込まれるケースもあったはずだ。

 その後キャンパスの内部の様子が知られるようになり、デモに慣れた外部の人が抗議活動に参加しようとキャンパスに流入してきた。過激な抗議活動をいとわない、いわゆる「勇武派」と呼ばれる人たちだ。前回も記したが、外部から来た抗議者には理工大学での抗議活動と同様に中学生・高校生も多くいたようだ。

 中文大学からは、寮の閉鎖や一部の寮での水・温水などのライフラインが途絶したことを受けてキャンパス外に出る学生が増えたようだ。こうして5日目までに中文大学の学生の比率は下がり、外部から来た抗議者の割合が上がった。実際に4日目以降、私はキャンパス内で道を聞かれることが多くなり、大学生ではなく英語が流ちょうに話せない人に出会うことも多くなった。

 もちろん中文大学の学生も、全員が出て行ったわけではない。(両者は完全には区別できないものの)こうして中文大学の学生と、勇武派がキャンパス内に共存することとなった。そして中文大学の(学部生の)学生会と、抗議活動後に新たに組織された大学外部だと思われるグループで意見の相違が生じ始めたとみられる。対立が決定的になったのは後者の団体が勝手に金曜日の朝3時ごろに記者会見を開き、条件闘争を始めたことである。