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増え続ける社会的コストと割に合わない結果

 もともとは単に逃亡犯条例改正案の撤廃を求めていたデモは、長期化する中で民主化要求へと変化していった。同時に暴力を伴う抗議活動が目立つようになり、警察側の行動も暴力的かつ非合理的なものが増えていった。逃亡犯条例改正案という一つの法案の撤廃と、普通選挙の実施などの民主化はレベルが大きく異なる話だ。特に後者については、一国二制度の「一国」の統合性に深く関わる問題であり、香港でどれだけデモをして香港政府にアピールしようが、中央政府が同意しなければ実現されることはない。

 一般論として、デモによってある程度社会に混乱をもたらし、なおかつその行動を親中派も含めた世論が支持するという条件を満たさなければ、香港政府が方針の転換をすることはまずないだろう。さらに、これらの条件を満たしていても、香港政府は中央政府の反対など諸々の理由によって提案を受け入れないことがありえる。

 香港には確かに、デモ以外に政府に自身の政治的主張をわかりやすく伝える方法がない。ただし、抗議活動による混乱という極めて大きな社会的コストを払っているのに対して達成される便益が全くないというのが、現在の香港における抗議活動の現状だ。大学が運営できなくなってしまう、つまり公的な教育が社会に提供できなくなってしまうことも、間違いなく抗議活動とそれへの警察の攻撃という混乱による社会的コストだろう。

 現在は抗議活動のゴールが見えておらず、それがいつ見えてくるかもわからない。抗議者にとってベストな選択肢ではないかもしれないが、香港は今別の方法を考えなければならない時に来ているのではないのか、とも思う。

 例えば建制派(親政府派)の立法会議員が現在さほど多くない北京とのコンタクトを増やし、香港の論理をゆっくりと説明していく必要がある、などといったことだ。そして香港側も北京の香港政策をコントロールするために、ある程度北京の論理を理解していくことが必要になるだろう。そうなり得る「誰か」は今香港にいないのだろうか。

 香港警察が見境なく催涙弾を使うことも、抗議者が親中派とみなした店舗を破壊することも、確かに問題だろう。しかし、誰かが非難のループから抜け出し、より実効性のある解決策を提示しなければならない。大学がシャットダウンされるほど事態が泥沼化した今、互いに責め合い続けるだけでは、今の香港には何の答えも出せないだろう。