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 2020年のノーベル経済学賞は、米スタンフォード大学のポール・ミルグロム教授と、ロバート・ウィルソン名誉教授の2人に贈られた。電波の周波数割り当てなどで使われるオークション(競売)の理論的発展や、実用化への貢献を評価した。

 実はミルグロム教授は、画期的で体系的な「組織の経済学」の教科書の著者としても知られ、日米は言うまでもなく世界中で版を重ねている。

 日経ビジネスは2014年に米スタンフォード大学にてミルグロム教授にインタビューした。まだ、今回の受賞で注目されたインセンティブ・オークションが出来上がる前で、インタビュー時はちょうど研究開発中であり、その狙いと問題意識を語っていた。オークション理論関連について説明いただいた部分は既に日経ビジネスオンラインに掲載した記事を転載している。だが本稿では、当時ネット上で未収録だったミルグロム教授のキャリアの変遷やウィルソン教授とつくりあげたオークション理論の誕生秘話、オークション理論以外におけるめざましい貢献などについて加筆した日経ビジネス別冊「2014~15年版 新しい経済の教科書」収録の記事全編を電子版に転載する(内容の一部が過去記事と重複していますがご了承ください)。

 ビジネスに経済学がどう役立つか、ビジネスパーソン出身のミルグロム教授の話を聞こう。

ポール・ミルグロム(Paul Milgrom)
米スタンフォード大学経済学部教授

1948年米国デトロイト生まれ。70年に米ミシガン大学を卒業、保険数理士(アクチュアリー)の仕事に数年間従事した後、78年に米スタンフォード大学経営大学院で博士号(Ph.D.)を取得。87年から現職。著書に『組織の経済学』(共著、NTT出版)、『オークション理論とデザイン』(東洋経済新報社)などがある。(写真:林幸一郎、以下同)

ミルグロム教授が米国で1992年に出版した『Economics, Organization and Management(組織の経済学)』は、大変人気がある組織論の教科書で、世界中の経営大学院で使われてきました。企業がなぜ存在するのか、企業がスタッフをどうやる気にさせながらどう個々の活動を調整していくかといった本質的な問題の解決に、市場経済の理論からヒントを与えています。

ポール・ミルグロム米スタンフォード大学教授(以下ミルグロム):私は当時、スタンフォード大学の学部生に「企業の経済学」という授業を教えていました。(共著者の)ジョン・ロバーツ教授は、同じテーマを経営大学院で教えていました。我々はそこで教える内容を、非公式に「あのこと」と呼んでいました。つまり、経済学者がどう呼ぶべきか、ふさわしい呼び方が当時はなかったのです。

 経済学者が、組織について、何か役に立つことなど教えられるのか? という雰囲気でした。そういった疑問の声に対して、確証ある答えはありませんでしたが、私とロバーツ教授は、持っている知識を総動員して、最高の教科書を作ろうと決意しました。我々の知識を現実問題と関連付けられるよう、まとめることにしたのです。

独自の枠組みで書き上げた教科書『組織の経済学』

 教科書の草稿には多くの学生からコメントをもらい、とても好評でした。昔教えた学生にたまに会うと、今でも「先生、あの講義は役に立ちました。組織について違った角度から考えることができるようになりました」と言ってくれるほどです。

 手応えを感じた私たちは、ほかの研究者たちの知見も大いに盛り込み、我々の枠組みの中で書き上げました。有名な教科書というのは大抵、原典の内容を忠実に反映しようとします。しかし我々は、「組織ではどのように物事が進められていくか」に関して役に立つ知見を、自分たちのアイデアに合わせて盛り込んでいったのです。

 理論家が教科書を書いて専門用語や厳密さ、正確さにこだわり過ぎると、読者層を狭めてしまいます。そしてそれは人によってはとても読みにくい本になってしまう。その読みにくさゆえに称賛したりする人もいるのですけれど。

普通に考えると、経済理論と日々のビジネスはあまり縁がないように感じてしまいます。

ミルグロム:そうですね。経済学者が研究していることのほとんどは、ビジネスではありません。最近ではニック・ブルーム教授と一緒に教科書『組織の経済学』をベースにした講義を何年も展開してきましたが、ロバーツ教授と始めた当初からかなり変わってきた部分があります。

 例えば、モラル・ハザード、プリンシパル=エージェント理論、企業の所有などといった内容については、今でも経済理論をベースに講義しています。しかし、ほかにマッキンゼー・アンド・カンパニーの経営に関する研究結果に基づくものを数多く盛り込んでいます。

経営のこんな問題が、経済学で読み解ける!

1 学歴主義はなぜなくならない?
就活生の学歴は、企業が学生の能力を判断する有望な「シグナル」だから。

2 保険詐欺や利益相反はなぜ起こるの?
雇用契約や保険契約のような契約で、例えば遅刻の常習犯だった、あるいは本当は事故歴があるなど当事者しか知り得ない情報があることから、(詐欺や職務怠慢など)一方の行動がゆがむ「モラルハザード」が起こる。

3 成果主義っていいの?
プリンシパル(使用する側)とエージェント(使用される側)の情報格差で起こるモラルハザードを、成果主義に基づくインセンティブで回避できる可能性がある(プリンシパル=エージェント理論)。ただし職務の設計などに工夫が必要。

 私たちは、経済理論とマッキンゼーの研究結果をうまく組み合わせて、アダム・スミス、マルクス、リカード、そしてハイエクから現在まで、組織というものが変わってきたのかを説明するようにしています。つまり経済史から主要な理論、そして実際の経営の現場における研究までをうまくつなげて教えるようにしています。

講義の中で、実務家の知見を本格的に取り入れるようになったわけですね。逆にIT(情報技術)企業などで経済学者を雇うようになっていますが、その動きはそうした変化とも関係があるのでしょうか。