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本記事は日経ものづくりの過去記事を再掲載したものです。
(写真:つのだよしお/アフロ)

 持ち歩ける電子機器に、今やリチウムイオン2次電池は欠かせない。この電池は正極にコバルト酸リチウム(LiCoO2)、負極にカーボン(C)を使う。1985年にこの基本構成を発明し、基本特許を成立させたのが、吉野彰氏だ*1。同氏が研究者としてこの発明を成し遂げたのは、常に顧客に役立つための研究を意識し、貫いてきたからである。

*1 吉野氏はリチウムイオン2次電池の基本構成の特許第2668678以外にも、価値の高い特許を取得している。そのうちの一つが、正極の集電体にアルミニウムはくを使った特許第2128922号。

 1972年に旭化成に入社した同氏は、機能性樹脂の研究にいそしむ。9年目の1981年、吉野氏は研究テーマにポリアセチレンを選び、3人の小規模な研究グループのリーダーとなった。ポリアセチレンは、後の2000年にノーベル化学賞を受賞することになる白川英樹氏が世界で初めて発見した導電性樹脂である。この樹脂には、電気を流すと電気化学的に酸化還元反応を示す特性があった。これをうまく利用すれば、2次電池として機能する。吉野氏はポリアセチレンに期待されていたさまざまな特性を丹念に調べ、2次電池の可能性を確信する。

 試行錯誤で研究を進める中、吉野氏は偶然、ある海外論文に目を通し、LiCoO2が正極に使えることを知る。一方、負極にはポリアセチレンと同じ特性を持ち、より低コストなカーボンで代用できることを発見した*2。当初は有望と考え、研究のきっかけとなったポリアセチレンだが、実用化に向けた評価を進める過程で、熱に対する安定性に欠け、比重が小さく電池にした場合に小型化できないという弱点を突き止めた同氏は、すぐに他の材料に切り替えたのだ。そして、LiCoO2とカーボンを組み合わせた2次電池を試作し、実験して息をのむ。充電も放電もうまくいった。リチウムイオン2次電池が誕生した瞬間だった。

*2 吉野氏がリチウムイオン2次電池の負極に使ったカーボンは「気相成長法炭素繊維(VGCF、Vapor phase Grown Carbon Fiber)」。直径10nm、長さ1~2cmほどの繊維状のカーボンを、バインダで固めて負極に加工した。VGCFは宮崎県延岡市にある旭化成の繊維系の研究所が開発していた。

 「研究は苦しいことの連続だ。だが、苦しさがあるラインを越えると、“ランナーズハイ”のように楽しくなってくる」と吉野氏は語る。だが、そのためには押さえるべきポイントがある。「研究の初期段階で市場性を徹底的に調べること」(同氏)だ。

 企業は利益を追求する組織である。そのため、研究がある水準に達し、それ以上継続させるためには、市場があることや技術がものになることを企業側に証明する必要があるというのだ。「事業に結び付かない研究は、遅かれ早かれストップが掛かる。その際、研究者は継続したい一心で、市場や技術の優位性をでっち上げたい気持ちに駆られることもある。だが、そうしたところでうまくいくものではない。だからこそ、できる限り早い段階で対象となる研究の将来性を見極めることが大切だ」と吉野氏は力説するのだ。

 吉野氏は2003年に旭化成のグループフェローに任命された*3。この成功の源をたどると、ポリアセチレンの研究に着手してすぐに2次電池の市場や技術を調査し、市場が大きいことや、そのために解決すべき技術的な課題を把握していたことが大きい。

*3 旭化成グループフェロー制度は、2003年に同社がグループ共通の制度として設けた。優れた業績を上げた研究者に「グループフェロー」の称号を与えて高く評価し、厚く処遇する。若い研究者や技術者のモチベーションを鼓舞する狙い。

 化学メーカーである旭化成には電池の経験がなかった。そのため、吉野氏は電池メーカーの技術者に話を聞きに行く。だが、普通には会ってくれない。そこで同氏は両者の幹部同士を通じて非公式な話し合いを設けてもらい、その電池メーカーの技術者から市場性や技術的な課題を聞いたのだ。その時、特に「安全性が開発のネックである」という貴重な情報を得た。これにより、「研究の初期の段階で最優先に解決すべき課題を知ったことで、商品化に有利になった」(同氏)。

 旭化成のフェロー制度は、研究水準の高さに加え、事業を成功に導いて利益へ貢献したかも厳しく問う。研究と市場の二兎にとを追ったからこそ、吉野氏はフェローの称号を手にしたのだ。同氏は現在も若手研究者に市場に目配りすることの重要性を説いている。

(文・近岡 裕)

 2019年10月23日(水)開催『Future Mobility Summit:Tokyo 2019』 ――携帯通信の世界では、現行の4Gに比べると約100倍の通信速度が期待される5Gが動きだし、モビリティーを取り巻く環境も大きく変化すると見られています。本サミットでは、こうした中で自動車産業はもとより通信事業者や電機メーカーは何を狙っていくのか。新たなサービスはどこへ向かおうとしているのか。各社のマイルストーンと共に、事業化への羅針盤を探ります。今年創刊50周年を迎える経営誌「日経ビジネス」と、先端技術誌「日経Automotive」の知見とネットワークを集結し、吉野氏(予定)を初めとする国内外から各分野の一流講師を招きます。

日経ものづくり、2005年5月号
-特集「悩める技術者の幸福論 Part2 技術で生きる10人の幸福論、研究の目的を事業化の成功に置き 市場調査を徹底してフェローに昇格」を改題-より