西郷隆盛の教え

 悩みぬいた末にたどり着いた答えが、子供の頃に父母や小学校の先生から教わった「人間として正しいことを判断の基準にする」ということ。「経営術を知らない私にとって、そんなプリミティブな道徳観、倫理観しか持ち合わせていなかったというのが本当のところです」と稲盛氏は述べている。

 稲盛氏は年長者が年少者に文武を教える薩摩藩士の子弟教育制度「郷中教育」の文化が残る鹿児島県で生まれた。そうした教育環境の中で育ったからこそ、道徳観や倫理観が自然に身に付いたのかもしれない。

 もう一つ、稲盛氏の心に深く入り込んだ思想がある。同郷の西郷隆盛(雅号は南洲)の教えだ。

 時に藩主の怒りを買って島流しされるなど、艱難辛苦(かんなんしんく)の人生を歩んだ西郷隆盛。その思想の根幹に稲盛氏は「敬天愛人」があると考えていた。自然の道理、人間として正しい道、すなわち天道をもって善しとせよ、己の欲や私心をなくし、利他の心をもって生きるべし──。「敬天愛人」はこう説く。

 「無私」でなければ、リーダーは務まらないことは、稲盛氏は身をもって経験した。

 創業3年目のこと。前年に初めて採用した高卒社員が10人ほど集まり、稲盛氏に詰め寄ったことがあった。「こんなボロ会社だとは知らずに入社してしまった」「将来が不安でたまらず安心して働けない」「定期昇給とボーナスを保証してくれ」「認めてくれなければ今日限りで全員辞める」。彼らは、血判状まで用意してそう稲盛氏に訴えたという。

 「できたばかりの小さな会社だ。そんな約束はできない、皆の力を合わせて会社を発展させていこう」と説得する稲盛氏。それでも「我々にも生活がある。あなたが保証しろ」と、一歩も引かない社員。稲盛氏は自宅に連れて帰り、3日3晩、話し続けた。「私の誠意だけは信じてほしい。もし、それを踏みにじるようなことがあったら、私を殺してもいい」。稲盛氏のこの言葉で小さな反乱はようやく収まった。

 ホッとしたのもつかの間、稲盛氏はその夜、眠ることができなかったという。社員だけでなく、彼らの家族の生活まで、命を懸けて守ると約束してしまったからだ。

 京都セラミックは、自身の技術を世に問う場として、支援者・理解者に作ってもらったという思いが稲盛氏には強い。ところが、その理想は吹き飛び、社員の生活を守ることが会社の目的に変わったことに稲盛氏は気づかされた。

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