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 ただ、僧侶手配の問題は近年生まれたものではなく、ここ20年来首都圏では常に存在していた問題でした。首都圏の寺では葬祭業者から手配された葬儀や法事を自分たちの檀信徒以外の「頼まれ仕事」としてやっていて、その態度が「偉そう」という批判もありました。一方、僧侶あっせんプロダクション経由の「派遣僧侶」にも問題がなかったわけではありません。僧侶としてのあり方の追求の前に、葬儀・法事をビジネスとしてのみ考える「偽僧侶?」と疑われる者もいたからです。

 この構図が、今変わりつつあります。自分の寺では自活できないが、檀信徒に経済的迷惑をかけたくないとする地方の”貧困僧侶”が派遣僧侶として登録するようになったのです。その結果、派遣僧侶ながら、質的に優良な僧侶も増加しているのです。

 自活できない寺の僧侶を派遣僧侶登録に走らせるのは、不作為とは言え、仏教各派教団が貧困寺院を放置しているからでもあります。それが近年の優秀な派遣僧侶を生んでいるのです。なんとも皮肉な話です。

僧侶手配・派遣僧侶の残された問題

 ただし、質が高くなっているとは言え、問題も残っています。そもそも檀家関係にあるかどうかに関係なく、日常的に信頼関係を結んでいない僧侶に葬儀・法事を依頼することは、ある意味ばくちのようなものです。そこでは質の担保はありません。問題は寺の僧侶に依頼するか派遣僧侶に依頼するかではありません。信頼できる宗教者を見つけられるかなのです。頼りになる紹介者を見つけることは普通の人には難しく、良い僧侶は自分で見つけるしかないのが問題なのです。

 僧侶手配では間に入る事業者が少なくとも3割、多い場合には5割ものマージンを得ていることも問題です。中間事業者は「布施」という名の手配料から少なくないマージンを差し引き、葬儀・法事に出仕した僧侶に「日当」という労働対価を支払っています。世の中のニーズによって生まれてきた派遣僧侶ですが、解決すべき問題は多いのが実情です。この問題を解決する何かを生み出すことが求められています。

葬儀の多様化・個人化は進むが

 高齢化、家族分散・縮小が進むことで葬儀の個人化はいやが応でも止まりません。かつて地域社会が強かった時代には、「慣習」というある意味不自由ながら、それに従っていればある程度、無難に済むという便利な道具がありました。しかし、今はもう慣習が崩れつつあります。

 家族に死者が出ることは、担う人間が減少した分、その終末期のケアも含め、かつてより大変になっています。終わりの見えない終末期医療・介護の問題はますます深刻化しています。家族は家族で、本人の死後も死別による心の傷を受け、それを抱えながら生きざるを得ないのです。WHO(世界保健機関)はターミナルケアの問題として、家族の問題、死後の家族が抱える問題を提起しています。

 このように死の問題は単独で存在するのではありません。それは先行する介護や、亡くなった後の家族の心のケアなど置かれた状況によって、人それぞれです。それゆえ葬儀と供養の問題も個別、固有であり、これまでの慣習にとらわれる必要はありません。自ら選んでよいのです。誰にも通用する正解などはないのです。