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香港立法会選挙の立候補届け出が7月18日に始まった。民主派の立候補はどこまで認められるのかに、世界の注目が集まっている。香港国家安全維持法が施行されてから3週間。その間の香港政府の行動を分析し、その行動原理を解き明かすことが、そのヒントになるかもしれない。

 香港国家安全維持法(国安法)は6月30日夜に香港での現地公布と同時に施行された。その直後の7月1日には新型コロナウイルスの流行が広がって以降最大規模の抗議活動が行われ、国安法に基づいて10人が逮捕された。

 10人逮捕という事実をどう分析すべきだろうか。国安法施行前は「大物民主活動家が逮捕される」という噂もあり、一部の影響力の強い民主活動家のみに適用されると考えていた人もいた。そうした人にとっては、必ずしも著名ではない一般の抗議者が逮捕されたことは衝撃だったことだろう。国安法が、本気で抗議活動を鎮圧するものだと感じたはずだ。

 一方で、7月1日の抗議活動で逮捕されたのは370人の中で、国安法が適用されたのは10人しかいなかったことにも注目すべきだろう。大半の逮捕者は国安法ではなく「違法集結」などの疑いによって公安条例などに基づき逮捕されている。少なくとも7月1日の段階では抗議活動に参加するだけでは国安法違反とはされていない。

「天滅中共」は香港国家安全維持法の取り締まり対象の表現になっていなかった(撮影は筆者)

国安法による逮捕基準は?

 どのような基準で国安法による逮捕は行われたのか。香港経済日報などは国安法の取り扱いについて警察の内部ガイドラインについて7月1日に報じている。ガイドラインによれば国家安全を害すると例示されている表現は以下のようなものとされている。

  • 「香港独立」、「香港国」、「香港人建国」のような香港の独立を意図したもの
  • チベットの独立を主張した「雪山獅子旗」や上海や南モンゴル独立など9カ所の地域の中国からの独立を主張した「九独」のような香港以外の地域について独立を意図したもの
  • 「光復香港 時代革命」(香港を取り戻せ 革命の時だ)

 上記のスローガンは「光復香港 時代革命」を除き、国家分裂を比較的はっきりと主張しているという特徴がある。「光復香港 時代革命」はその字義そのものからは必ずしも香港独立を意図したものとは言えないように思えるが、7月2日に香港政府は香港独立や国家政権の転覆を企図する意味を有するとして違法であることを明確にしている。

 一方、台湾の旗(青天白日旗)については警察の内部ガイドラインに特に記載がない。抗議活動中に青天白日旗を所持していた男性が一度は警察署まで連れて行かれているが、結局逮捕されていない。また抗議活動の現場では法輪功などが「天滅中共」などと中国共産党を批判するスローガンを掲げていたが、こちらも摘発されていない。

 7月1日に国安法に基づいて逮捕された抗議者は全員が「光復香港」や「香港独立」と記されているものを有していた。従って抗議活動の現場においても、警察は内部基準に従った行動をしている。もちろんその内部基準は現場の警察官が自らの行動を正当化するためのガイドラインでしかなく、そのガイドラインは香港政府上層部や中央政府によって恣意的に変更されるもので、香港の民主派からは受け入れられないものだ。しかし、このような現場レベルのガイドラインが存在すること自体、香港警察の官僚主義的性格が表れていると言える。

 なお、7月1日に逮捕されて国安法に基づき実際に起訴されたのは「光復香港 時代革命」という旗を掲げたバイクで警察官にぶつかった1人のみで、残りの逮捕者は7月2日の夜以降に全員保釈されている。国安法42条は「国家の安全を害する行為を引き続き実施することはないと信じる十分な理由が裁判官にないのなら、保釈を認めてはならない」と定めている。これは国安法が適用された場合は原則的には保釈すべきではないとも読めるが、香港警察はこれまでの「前例」に従って9人を保釈した。保釈前に逮捕者全員からDNA採取を行っていることに関して、李家超保安局局長は国安法やその施行細則ではなく警隊条例という香港の既存の条例に基づくものだと主張しており、これも前例に従った事例に見える。

 7月6日には国安法43条に基づいて旅券・財産の没収や情報提供の強制などの手続きを定めた国安法施行規則を官報に掲載した。この施行規則を説明するプレスリリースでも、香港警察が国安法の下で持つ権限について既存の条例を踏襲していることを強調している。例えば、財産没収については「組織的・重大犯罪条例」や「連合国(反テロ措置)条例」で定められた権限と規定を参照して定めたと強調している。国安法の施行規則であるならば、国安法の条文だけに基づいて施行規則を設定すればいいように思えるが、実際は香港の既存の条例を参照している。これは国安法への懸念を少しでも薄めるものだとも思われるが、いずれにせよ極めて前例主義的である。

 国安法の下では香港警察をはじめとした香港政府の機関は、反体制的なものに関してはほぼ全て犯罪化するような中国本土の公安とは異なる論理で動いていることが見受けられる。したがって、中国政府と香港政府上層部はその一体化が進んでいるものの、両者が完全に一体化しているとは言えないだろう。

香港政府と中央政府の論理の衝突

 このような香港政府の官僚主義的性質を考えると、国安法が中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)常務委員会で成立したその日のうちに、香港で現地公布されて実際に施行されたのはかなり異常な出来事だ。中央政府からの圧力もしくは中央政府に対する忖度(そんたく)を、既存の香港政府内の論理よりも優先するという行動原理を読み取ることができる。

 香港政府の論理と中央政府の論理が衝突し、結果的に後者の論理を香港政府が認めた非常に分かりやすい例として、4月に起きた香港基本法22条問題がある。香港基本法は香港の「ミニ憲法」と言われる一国二制度の根幹となる法律であり、香港基本法22条は中央政府の機関をはじめ中国本土側の機関は香港特別行政区が香港基本法に基づいて管理する事務に関与してはならないと定めている。

 中国政府の香港での出先機関である中連弁は4月17日、中連弁は香港基本法22条の適用を受けないとし、自らが香港の議会である立法会を監督することができると言い出した。その後も香港政府はプレスリリースなどでこれまでの香港政府の解釈通り中連弁は22条に従う必要があると発表したが、それからわずか数時間後に「中連弁は22条で定める中央政府の組織に該当しない」と解釈を変更した。中央政府の圧力を強く受けた結果、香港政府のこれまでの論理(法解釈)よりも中央政府の論理が優先されたと思われる。

 これはかなり露骨な例だが、このほかにも同様の忖度や圧力の影響を香港政府は強く受けていると思われる。国安法に基づいて新たに設置された国家安全維持委員会には中央政府の指名した駱惠寧中連弁主任が「顧問」として参加しており、中央政府からの論理が香港でも優先されるような傾向はその「制度化」によってさらに強まるだろう。

親中派よりも前のめりな香港政府

 中央政府からの圧力や中央政府への強い忖度のためか、香港政府が中央政府寄りの政治家や研究者に比べても、さらに前のめりに国家安全政策を推し進めている様子が見受けられる。

 例えば7月3日の段階で全人代常務委員会香港代表の譚耀宗氏は毎日新聞のインタビューで、「香港独立」など国安法9条が犯罪と規定する主張について書き込まないようにインターネットプロバイダーが注意をすることは必要だと述べた一方、プロバイダーに強制的に書き込みを削除させることは必要ないと答えている。譚氏は国安法制定に近い立場で関わっており、中央政府がどのように考えているか理解しているはずだが、その譚氏でさえネット上の書き込み削除は必要ないと答えている。ところが香港政府はさらに過激な姿勢だ。李家超保安局局長は、プロバイダーなどの事業者が「削除要求に応じなければ即違法とする」と発言している。

 全人代常務委員会基本法委員会の委員でもある陳弘毅(アルバート・チャン)香港大学法律学院教授は7月2日、ラジオ番組において国安法にはスローガンの所有、表示、使用に対し直接に規定する条文がなく、スローガンに「扇動表現」があるだけなら、必ずしも国安法の21条で定めるような「国家分裂扇動」に当たらないと答えている。さらに警察には国安法を解釈する権限はなく、7月1日にスローガンを表示しただけで警察が抗議者を逮捕したことについて法律の解釈を反映させたものではないと述べている。

 陳氏は、国安法は中央と香港の間の社会契約であり、中央政府が香港市民に対して最低限の義務を求めているものだとして、国安法の必要性に対し理解を示している立場だ。体制寄りの法学者である陳教授でさえスローガンの表示だけでは21条が適用されないと考えているのにもかかわらず、香港警察は7月1日の抗議活動ではスローガンを表示しただけの抗議者も逮捕するようにガイドラインを作成し、実際に逮捕している。また、香港政府の一機関である香港郵便が「光復香港」を意味するような表記や政府への批判が記載されていた区議会議員の郵便物について投函(とうかん)を拒否するという事件も起きている。

 また国安法施行後、香港の公立図書館では民主活動家の黃之鋒(ジョシュア・ウォン)や作家の陳雲などの書籍が国安法に抵触していないか審査するために非公開となった。サウスチャイナモーニングポストなどは、教育局が香港の小中学校に対して国安法に違反する書籍を撤去するように求めたと報じている。一方、陳教授は書籍や文章の内容が武力や違法手段を用いた国家転覆に言及していないのであれば違法性はないと述べており、香港政府の対応はこの点でも踏み込んでいる。

親中派の発言と香港政府の決定の差分に注目

 国安法において定める犯罪は極めて曖昧なものであり、さらに国家安全維持委員会の決定は司法審査を受けない。そのため、体制側がいくらでもその解釈を変更でき、法律が実際にどのように運用されるか操作することができる。どんなことも違法化できるわけで現に民主派の予備選挙も違法化され、今後立法会選挙で一部の民主派候補の立候補資格が剥奪されることも十分に考えられる。

 冒頭で述べたように党国体制を取る中国政府とイギリスの植民地政府を引き継ぐ香港政府は、そもそも相当に異なる論理に基づいて動いてきた。しかし、今や香港政府は両者の論理が矛盾した時は、中央政府の論理に従う姿勢を鮮明にしている。

 だからこそ、香港政府関係者だけではなく、譚氏や陳教授のような香港政府の外部にいるものの中央政府にも近い人々や建制派(体制派・親中派)関係者の言説を常に追いかけることが重要と言える。今後、国安法の運用を香港政府が変更した際に、彼らの発言と実際の運用変更を比較することで様々なことが推測できるからだ。香港の建制派の人々と意見調整をするほどの余裕がないほどに、香港政府は中央政府からの圧力を受けている可能性がある。

 香港立法会選挙の立候補届け出の締め切りは7月31日だ。民主派の候補の中には香港政府から立候補資格が剥奪されることも想定し、「プランB」として予備の候補を立てておく動きも進んでいる。香港に認められている「高度な自治」の根幹である選挙を巡る攻防は、中央政府と香港政府の関係性の変化の映し鏡と言える。

 香港では体制に近い建制派から民主派まで様々な人々が多くの発言を積極的に行い、きわどい質問にも積極的に答えている。そしてその発言1つひとつを細かくメディアが報じており、ニュースの密度が非常に濃い。ただし、中央政府側の動きは国営メディアや党機関紙の報道を通じてしか見えにくい。香港側の様々な発言や動向を通してこのような推測を行っていくことが今後の中央と香港の関係を理解する上ではこれまで以上に有効な手法となるだろう。