2013年1月、「強い経済を取り戻す」と所信表明演説をする安倍晋三首相(当時)(写真=アフロ)
2013年1月、「強い経済を取り戻す」と所信表明演説をする安倍晋三首相(当時)(写真=アフロ)

7月8日に凶弾に倒れ、突然命を奪われた安倍晋三元首相。安倍氏の元で15年間スピーチライターを務めた慶応義塾大学大学院教授の谷口智彦氏が本誌に緊急寄稿し、アベノミクスと、そこに懸けた安倍氏の足跡を書き下ろした。

 アベノミクスには第1版と、より長期の視野に立つ「2.0」とがあった。いずれもマクロ経済学的に筋が通った政策だった。だが効果がなかったのか? この問いに答えを出すのは、少し待ってほしい。

 「高村さん」と、麻生太郎氏は高村正彦氏に呼びかけたという。2012年9月の自民党総裁選に立った有力三候補、石破茂、石原伸晃、それに安倍晋三各氏について、麻生流人物月旦(人物評)が始まろうとしていた。

 石破、石原の両氏についてひとしきり一流の批評をしたあと、こう言ったらしい。「でもね高村さん、腹が悪いのは、クスリで治るらしいよ」

 先立つこと5年前、07年9月突如として総理の座を退いたときの安倍氏は、持病の潰瘍性大腸炎が悪化し粥(かゆ)さえ受けつけない状態だった。

新薬で持病克服、生まれ変わった安倍氏

  2年後の09年9月、スイスのティロッツ・ファーマという医薬品メーカーを折からの円高をテコに買収したゼリア新薬工業は、ティロッツ製で長年同病に悩む患者が待ち望んでいたクスリ「アサコール」の承認・販売にこぎつける。

 服用を始めた安倍氏における薬効たるや顕著で、安倍氏は2010年ごろ、それ以前の40年経験したことのなかった寛解状態に至る。まるで神の啓示を聞き生まれ変わった(ボーン・アゲンの)人のごとくで、安倍氏がそのとき見た空は、人生で最初の突き抜けるような青空だっただろう。

 麻生氏はそこを見て取って、安倍氏の総裁就任を予見し、期待した。

 総裁就任は、12年9月26日。安倍氏が日銀の金融政策について語る言葉、経済を動学的に見ようとしない財務省を批判して言うあれこれの言辞は、俄然重みを持ち始めた。

 円ドル相場は総裁就任の前日、1ドルに対し78.0093円。トレンド変化はそこから始まり、同年12月26日に第2次安倍政権が発足すると、翌27日に初めて85円台をつけた。13年1月末の終値は、91.029円。同月22日には財務省・日銀間で歴史的共同声明(アコード)が出たから、市場はいっそう確信を固めた。

 株式市場に起きた同様の激変について触れるのは省くとして、12年12月から翌年1月にかけ、市場の空気を変えた効果は大きかった。

再登板、人々のマインドを動かし、空気を変えた

 人々のマインドを断然変えたアナウンスメント効果の激烈さは、戦後日本経済史に類例をもたない。往昔、1931年に蔵相として返り咲いた高橋是清が就任当日金輸出停止に踏み切った例くらい、だろうか、比較に値するのは。ちなみにこの故事は、安倍氏が英金融街シティーの中心「ギルドホール」で2013年6月19日自身の経済政策について演説した際、援用した話だ。