毎年6月4日、香港のビクトリアパークでは天安門事件追悼集会が行われてきた。「行われてきた」と過去形で書いているのはビクトリアパークが今年は香港警察によって封鎖されてしまい、公園内での追悼集会を行うことができなかったからだ。

 今回の追悼集会についてどのような行為が禁止され、また現時点でどのような行為が違法化されていないかを通して、香港国家安全維持法(香港国安法)施行後の香港がどのように変化してきたのか、そしてどのように変化していく可能性があるのか読み解いていきたい。

 特に今回は「愛国」でありながらも中国共産党に対し反対の立場を取る「愛国反中共」的運動の未来についても考える。

6月4日にビクトリアパーク近くに集まる人々と警察
6月4日にビクトリアパーク近くに集まる人々と警察
[画像のクリックで拡大表示]

かつて幅広い民主派が目立った天安門事件追悼集会

 昨年も新型コロナウイルスの感染防止を理由に、警察は天安門事件追悼集会の開催を許可しなかった。だが、今年に関してはその様子はかなり異なる。

 昨年も警察が公園の入り口に多くのバリケードを設置したが、多くの人々が例年集会が開催されているビクトリアパークにバリケードを越えて集まった。今年はビクトリアパークの内外に相当数の警察官が配置され、公園内に人々が入ることはなかった。

 封鎖された公園の周辺にも多くの警察官が配置されていた。ただし、公園の外にはブース設置や演説をする人がいたり、ろうそくを持って歩いたりする人が多く集まった。この点は昨年と同じだったと言えるだろうが、よく見ると昨年とは少し顔ぶれが違った。

 ここで、香港における民主派の幅広さを説明する必要があるだろう。香港においては一口に「民主派」と言っても、その政治的思想はさまざまだ。香港で反体制派や民主派を分類する一つの方法が、民主化の活動目標に着目することだ。中国本土も含めているか、それとも香港のみか、で分類できる。

 前者のような香港だけではなく中国本土の民主化も強く目指すような人々は一般に「伝統民主派」と呼ばれてきた。ただし、近年は香港と中国本土の違いを強調する香港アイデンティティーが強まり、中国本土の政治問題は香港の民主派にとって必ずしも自分ごとの問題として扱われなくなった。特に雨傘運動以降は若年層を中心に後者の「自決派」「本土派」が目立つようになっている。

 天安門事件は中国本土で起きた事件なので「伝統民主派」が強い関心を持ってきたが、「自決派」や「本土派」は必ずしも同じ強さで関心を共有してこなかった。雨傘運動以降の追悼集会では香港の各大学の学生会は学生会としての追悼集会への参加を取りやめたこともあった。例えば、香港浸会(バプテスト)大学の学生会は「天安門事件は韓国の光州事件と同様に隣国の問題」と、2017年の追悼集会前に香港人が天安門事件を追悼する必要はないという考えを示したほどである。

 しかし、19年の天安門事件追悼集会における参加者は大幅に増加した。逃亡犯条例修正案への反対運動が盛り上がったためだ。この逃亡犯条例修正案は中国本土で犯罪の疑いをかけられた人々を香港から中国本土に移送可能にするものだったために、中国本土の司法が香港の人々にとって他人事ではなくなったのも一つの理由だろう。

 20年には新型コロナウイルス感染拡大を理由に香港警察が集会そのものを禁止。天安門事件追悼集会自体が「中国化」する香港の政治問題の象徴の一つとして見なされ、禁止されたにもかかわらず幅広い民主派の人々が参加した。

 こうして天安門事件は香港の幅広い民主派にとって遠く離れた場所で起きた過去の事件ではなく、体制側の集会規制を通して現在進行形で香港に関係ある出来事になっていったわけだ。

続きを読む 2/3 限られた組織のみが見られた今年の六四

この記事はシリーズ「Views」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。