積極的な動きは進むのか
逃亡犯条例改正案に端を発する香港の抗議活動は1年以上続いてきたが、日本の国会議員らの関心が長期にわたって持続してきたとは言えない。国家安全法制が問題化して以降も、日本共産党が全人代の「香港国家安全法」の導入方針採択直後に声明を出したことを除けば、香港問題に対しての各政党の積極的な動きは限られている。
世界各国の議員による国家安全法制に懸念を示す共同署名には当初日本の国会議員は誰も参加していなかった。その中でいち早くツイッターで声をあげたのはシンポジウム当時無所属だった山尾志桜里衆院議員だった。その後この署名活動は広がり、先述のシンポジウムではすでに100人の国会議員が署名したことが明かされた。なお、山尾衆院議員は自民党の中谷元・元防衛相とともに、香港問題をはじめとした中国の人権問題に憂慮を示す欧米の議員を中心とする組織「IPAC(対中政策に関する列国議会連盟)」のCo-Chairs(共同代表)となっている。
同シンポジウムに登壇したユースデモクラシー推進機構代表の仁木崇嗣氏は「政党内で合意を取って決議を出すのは容易ではないので、今は各議員の判断でできる署名という手段を取るしかない。山尾議員は無所属で選挙に勝っていて比較的動きやすいのでは」という見方を示している。仁木氏は地方議会の議員とともに国会議員に対して日本版「香港人権・民主主義法案」の議論を開始することを求める署名活動をオンラインで行ってきた。
ただ今後、首相周辺の主導で積極的な動きが進めば、各党もまた動きやすくなるだろう。報道によれば、安倍晋三首相は10日の衆院予算委員会で香港での出来事に憂慮を示し、香港問題について日本が主要7カ国首脳会議(G7サミット)で共同声明を出すように働きかける方針を示している。
雨傘運動から活動する人々
政党単位の動きはこれまではそれほど積極的でなかったが、香港問題は多くの国際問題の中で国会で話題になる程度の注目を集めることに成功している。議員会館でシンポジウムを開催し、首相も含めた様々な政党の国会議員が香港に言及するようになった。シンポジウムでは香港の葉錦龍(サム・イップ)中西区区議会議員も「今まで黙っていた日本の国会議員がここまで動いてくれてうれしい」と発言している。
日本国内での香港の民主化問題への関心に濃淡がある中で、今回のシンポジウムが実現した一つの理由は、日本国内で継続的に香港問題に対してイベントやデモを主催するグループがいくつかあり、それらのグループが間接的・直接的に国会議員や有識者とのネットワークを形成してきたからだ。シンポジウムの共催には、これまで香港問題に対して取り組んできた在日香港人らによる団体が関わっている。
日本で香港の民主化運動を伝えたり支援したりする動きは2014年の雨傘運動のときからあったが、その時できたコミュニティーはあまり組織的に行動することはなかった。ここで、簡単に在日香港人などのコミュニティーが香港の民主化運動にどのように関わってきたのか記しておきたい。
まず、2014年10月には「在日港人聯会」の名義で雨傘運動に対して賛同の意を表明するデモが行われたが、これは主に在日香港人に呼びかけられたものだった。その翌年の2015年に雨傘運動に関する写真展が日本人ジャーナリストや研究者らによって開催されることになった。その手伝いを希望する在日香港人や日本人が集まり、両者がつながっていった。この写真展を企画したジャーナリストの小川善照氏は雨傘運動の取材を通して香港に関心を持ち、「香港で起きていたことをそのまま伝えたい」と雨傘運動の翌年に、香港人写真家の写真を中心とした写真展を開催することにしたという。その後、小川氏はデモシストの周庭さんとSEALDsの創設者の一人である奥田愛基氏との対談のセッティングも行い、今回、周氏のインタビューも含めた『香港デモ戦記』(集英社)を出版している。
雨傘運動当時から継続的に日本国内での活動に関わっている香港人に、伯川星矢氏がいる。伯川氏は香港人の父と日本人の母を持ち、18歳まで香港で育った。その後、大学進学を機に日本に移住している。雨傘運動終了後に周氏の通訳を何度か務め、雨傘運動を分析した書籍である『香港バリケード―若者はなぜ立ち上がったのか』(明石書店・遠藤誉ほか著)にも日港ハーフとして雨傘運動をどう見たかが詳しく記されている。
伯川氏は2019年6月の逃亡犯条例改正反対デモに参加した後、同8月に香港警察の暴力に反対の意を示すためのデモを東京で主催した。これらのデモは組織的なものではなく個人が集まって開催したという形が取られている。伯川氏はその理由を「雨傘運動が失敗したのは特定の団体が発言を独占し、そうではない人々の声が届かなかったからで、その後自分が行う活動も特定の団体が力を持ち過ぎないようにした」という。日本の警察はデモ申請を個人では受け付けてくれないことが多いため、デモ申請のときは個人ではなく「有志一同」という名義を利用したそうだ。
このように雨傘運動以来活動してきた人々は組織化した行動を取らず、また雨傘運動以降日本の政治が香港に関心を持つことも少なかったこともあり、積極的なロビーイング活動を行ってこなかった。
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