「おい、職場なんだから、ちゃんとした格好をしろよ」。いつかどこかで聞いたことのあるフレーズではないだろうか。あるいは、自分自身が常日ごろそう部下に言って回る立場だという方もいらっしゃるだろう。接客業の場合はもちろん、内勤でも顧客対応の時はネクタイ・ジャケット着用が社会人として「マナー」であると教えられる企業や業界は数多い。
ところがいま、働く女性や就職活動をする女子学生の中から「#MeToo」ならぬ「#KuToo」運動としてハイヒール強要について上がった抗議の声が話題になっている。「#KuToo」とは、「靴」と「苦痛」をかけてもじった造語だ。「なぜ足を怪我しながら仕事をしなければいけないのか」とハイヒール強要の職場で理不尽な思いをした実体験を持つ女性が「職場でのパンプス、ヒール靴の強制をなくしたい」とネットで呼びかけた結果、1万9000人近くにのぼる署名が集まり、大手企業の学生採用面接が解禁される6月に合わせて厚生労働省へ提出されたのだ。カナダの一部の州やフィリピンでは企業によるハイヒール着用の強制を行政が禁ずる動きもあり、「反パンプス」の波は世界的に広がりつつある。
ヒール付きパンプス強制の反対署名について6月3日午後、厚生労働省で記者会見する女優でライターの石川優実さん(写真/共同通信)
苦痛なのにそれでも履く「なぜ」
ヒールやハイヒールと聞いて読者諸兄が想起するのは、女性の間では大抵「パンプス」と呼ばれる靴だろう。ヒールやハイヒールそれ自体はかかとの高さを指すことが多く、その意味でヒール靴とはサンダルでもブーツでもあり得る。パンプスとは、足をかかとからサイド、つま先まで本革や合成皮革・布帛などの素材でぐるりと包み込んだ、足を滑り込ませるタイプの靴であり、職場で最も一般的な「ヒール靴」の形態だ。そのパンプスやその他のヒール靴を履くことで「足を怪我しながら仕事をする」とのフレーズに、首を捻る男性は多いかもしれない。だが、そのフレーズにこそ首肯する女性もまた、多いのだ。
リビングくらしHOW研究所の「靴と足の悩み」調査(2018年)によると、普段ヒール靴を履かない女性のうち4割超が「本当は履きたいが、履いていない」と答える一方で、ヒール靴を履く人の中にも、仕事での必要やおしゃれのために我慢するが、「本当は履きたくない」という人が3割超もいることがわかった。
調査に寄せられたアンケート回答から読み取れる、女性がヒール靴を「履いていない」あるいは「本当は履きたくない」の本音に通底する理由とは、「ヒール靴は足が疲れるから」「痛いから」「危ないから(転倒の可能性や走れないなど)」に尽きる。
男性がかかと部分を数センチから時には10センチ以上も細めの棒で持ち上げて足を斜めに前傾させる器具を常に履いたまま1日外出し歩き回ることを考えると、ヒール靴が本来的に持つコンセプトの「異様さ」「危うさ」をお感じいただけるだろうか。西洋に起源を持つ「洋装」の美意識においては、それがより足を細く長く見せて美しいのだ。しかもその前傾した足からフォーマルさが感じられるのだ……とされてきたにせよ、自然な人類の姿からは明らかに、足元のみ前傾した姿で立ちっぱなしで働く、まして歩く、走るのには圧倒的に不適であることは想像に難くないだろう。
筆者は上背があることもあって、女性ながら足のサイズが25.5センチあり、日本人女性としては大足の部類に入る。おかげで、これまでの人生でヒール靴とは愛憎溢れる関係を築いてきた。ファッションが好きだったため、お洒落と考えられている、ヒールのある靴に何かと目が向く。仕事で「ちゃんとした」スーツを着る時ならなおさら、その足元が「ちゃんとした」ヒール靴でないというのは美意識が許さない。背筋もピンと伸びる気がするし、仕事モードに切り替わり、何よりもそれが相手に失礼のない「ちゃんとした格好」だと思っていたからだ。
だが、小柄な男性並みの足の大きさでヒール靴を履き、一日中仕事をしたり歩き回ったりした日の終わりには、足はズタズタだ。前傾のせいで足の指は狭い三角形のつま先にギュウギュウと押し込められて皮が剥けたり爪が食い込んだり変色したり、足裏は不自然な部分に体重がかかって底マメができ、かかとも靴擦れで水ぶくれが赤く腫れ、あるいは横一直線に切れて出血したりする。実は20代の時には、足に合わないヒール靴を履き続けた結果、巻き爪が悪化して二度も足親指の外科手術を受けている(足先というのは神経が密集しているので、筆舌に尽くしがたい激痛である)。切除した足親指の爪は、もうまともな形には生えてこない。靴を優先して、生身の爪を失ったのだ。
「なぜそこまでして」と、我ながら思う。そんな風にしてまさに「足を怪我しながら仕事をする」のが「ちゃんとしている」「フォーマル」「社会人として当たり前」と思っている私のありようは、一応豊かな文明の中で生きているつもりだったが、ひょっとして不自然で不健康極まりないのではないか?
8センチヒール靴を履いた息子は「膝が曲がっちゃって立ってられないよ! なんだこれ!」と悲鳴をあげた
女である私はハイヒール靴をファッションの選択肢として当然視し、痛くてもお洒落のためには我慢して履くことに慣れて疑問を持たなくなってしまっているけれど、男性はハイヒール靴を履くとどんな感想を持つのだろう。試しに、私と同じ靴サイズであるビジネスマンの夫と、中学生の息子に私のヒール靴を履いてもらった。彼らは異口同音に「つま先が痛い」「横もかかとも痛い」「膝が曲がって歩けない」「不快」「なんでわざわざこんなものを履くの? やめたら?」と、早々に脱いでしまった。
女性の職場ファッションにも「クールビズ」的な風穴を
様々な男女がいる職場では可視化されてこなかった。しかし、働く女性たちは、職場でヒール靴を履くことを「社会人として当然のマナー」として強要されたり、暗黙の了解のもとで求められる問題に対してみなそれぞれに工夫したり自衛したり、あるいは明確なアンチとしての立場を表明している。「#KuToo」運動に寄せられた女性たちのツイートには、厳しい言葉が並ぶ。
「ハイヒール履く自由も、履かない自由も与えられるべき!」
「靴擦れや外反母趾の負担をどう思うの? そりゃ慣れるよ、見た目も良いよね。でも、それがマナーだなんて、纏足(てんそく)なのって話。履いて走ってみなさいよ。」
「パンプスも大好きだけど、ハードに一日動くための靴じゃないよね。職場はもっぱらペタンコ靴か太めローヒール。十分スーツ勢と並んで違和感ないわ。」
また、都内勤務の女性総合職(28歳)はこう語る。
「痛みはほぼ毎日感じてます。厚め、薄め、シリコンなど多種多様なインソール(足の痛みを軽減する靴中敷き)を愛用。毎日同じ場所が痛くならないように、1日ごとに履くパンプスを変えたり、ヒールが7センチ高のパンプスの時は、翌日はスニーカーあるいはペタンコ靴で会社に行くようにしてます。イベント仕事はパンプス必須ですが、出番以外、あるいは通勤時はスニーカーで移動したり。働き始めた頃に比べて、ヒール靴を履く機会は減りました」
以前ニュース報道の最前線を取材した時、そこでテレビ画面と時計をにらみながら時間勝負で働き、テレビ局内を走り回る女性たちのデスクの足元には脱いだ(あるいは来客に備えた)ヒール靴が散らばり、しかし彼女たちの足元はスニーカーであることに気づいた。逆に、海外大都市の大手企業で働く女性たちが、通勤はスニーカーで、職場ではヒール靴だった姿も思い出す。
働く女性として、それぞれの職場で求められるマナーやTPOと折り合いをつけ、現実的に対応してプラクティカルに働いている彼女たちのスタイルは、きっと職場フォーマルの定義を現代的に更新しているのだろう。何が「ちゃんとしているか」なんて、結局社会通念も美意識もその人が所属する「世間」の価値観にすぎないのだ。
今回の「#KuToo」運動には、男性から「革靴もつらい」との反応もあった。至極もっともなことだと思う。革靴だって硬いし蒸れるし擦れるしつらい。さらに言うなら、ネクタイだって暑くて苦しくてつらい。ジャケットだって重くて肩が凝ってつらい。
どこかの男性ファッション誌が「ダンディズムとは我慢の美学だ」と書いていたのを思い出した。男性だって女性同様に「我慢が美学」とムリをしてきて、俺はダンディズム派だからムリが好きだと貫く好事家がいる一方、ムリはやめましょう、環境にも悪いし、と現実に対応してみんなで始めたのが「クールビズ」だったのではないか。
ヒール靴やストッキングやブラジャーなど、シャネルがコルセットから解放した女性の洋装にもまだ制約が残り、女性たちにも内面化されている。私はそれが好きなのよという向きは、そのままでいい。だが日本の男性の職場ファッションに「クールビズ」が起き得たのだから、日本の女性の職場ファッションにだって「クールビズ」的な風穴が開いていい、いや、これからのためにしっかりと開けるべきだと思うのだ。
河崎 環(かわさき・たまき)
コラムニスト
コラムニスト。1973年京都生まれ神奈川育ち。慶應義塾大学総合政策学部卒。子育て、政治経済、時事、カルチャーなど多岐に渡る分野で記事・コラム連載執筆を続ける。欧州2カ国(スイス、英国)での暮らしを経て帰国後、Webメディア、新聞雑誌、企業オウンドメディア、政府広報誌など多数寄稿。2019年より立教大学社会学部兼任講師。社会人女子と中学生男子の母。著書に『女子の生き様は顔に出る』、新著『オタク中年女子のすすめ #40女よ大志を抱け』(いずれもプレジデント社)が6月15日発売予定。
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