「一国二制度」への認識の違い

 こうした事態は、中央政府と香港の民主派の間の「一国二制度」の考え方が相当に異なることを示している。このような違いはしばしば、民主派は一国二制度の「二制度」の維持を強調する一方で、中央政府は一国二制度の「一国」の維持を強調している──、というように説明される。香港の民主派は中央政府が一国二制度を破壊しようとしていると批判しているが、中央政府側は一国二制度を守るためにこのような法律が必要だとしている。

 実際、中央政府や香港政府は香港基本法の定める範囲内、つまり一国二制度の枠組みを壊すことなく国家安全法を定めようとしていると主張している。例えば5月25日に香港政府の法務当局(律政司)は「国家安全は中央政府の管轄で香港特別行政区の自治の範囲外」と声明を出している。体制側から見ると香港版国家安全法の扱う国家安全は香港の自治の範囲外であり、従って全国性法律として中央政府側が定めることは一国二制度の枠組みに従っており、合法的なものであるということだ。しかしこのようなロジックを使えば、中央政府は香港の議会を通すことなく、様々な法律を容易に香港に適用できてしまう。

 さらに、このことは体制側が香港基本法をかなり幅広く解釈できるということを示している。そもそも香港基本法の最終解釈権は香港の司法機構ではなく全人代にある。つまり、その解釈が正しいと全人代が言えばそれが正しいものとされる。香港の自治が扱う範囲とは何か、国家安全とは何かというのは曖昧なものではあるが、それは全て中央政府の解釈で決定され、その解釈の妥当性を中央政府と立場が違う第三者が審査することもない。

数々の懸念を生み出す国家安全法

 ここまでの議論をまとめると香港の民主派の国家安全法に対する懸念は以下のような3層に分けて説明できる。

  1. 国家安全法そのものによる言論の自由への制限への懸念
  2. 香港の議会を通さずに中央政府が直接香港で適用可能な法律を制定できる前例を作ってしまうかもしれないという懸念
  3. 中央政府がどのようにでも香港基本法を解釈でき、それを「合法」としてしまえることへの懸念

 つまり香港版国家安全法は、単に中央政府が香港の言論の自由を制限しようとしている、というだけではなく一国二制度の構造を大きく変え、一国二制度を担保していた香港基本法を形骸化させてしまうという懸念を発生させる。そのような点で逃亡犯条例よりも深刻に受け止めている人も多い。

 これらの懸念はあくまで全人代で決議された決定の文言から発生したものであり、実際に法がどのように整備され運用されるのか、これらの懸念がどの程度正しいものなのかは現時点では分からない。ただこの法律がどう運用されるかが香港の未来、さらには中国を取り巻く国際情勢に大きく影響するのは間違いない。

■変更履歴
記事公開当初「国旗、国家」としている部分がありましたが「国旗、国歌」の誤りでした。本文は修正済みです。[2020/05/28 22:00]
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