新たな法律はどう香港の議会を迂回しているのか
香港は「一国二制度」の下、中国本土とは大きく異なり、判例などの積み上げに基づく「コモン・ロー」に基づく法体系を採っている。それは香港基本法において担保されたシステムであるが、今回の「香港版国家安全法」は香港での議会を通した法制定プロセスを採らず、全人代がいわば香港の議会を迂回して直接制定するという形を採ろうとしている。
どのようなロジックで全人代はこれを可能としているのか。香港には中国本土の法律は原則適用されないが、その例外として香港基本法の18条において全人代が定めた法律でありながら香港にも適用可能な「全国性法律」というものが定められている。この18条では、全人代は香港特別行政区基本法委員会と香港特別行政区政府に意見を尋ねた後にこの法律を追加または削除ができると定められている。ただしどんな法律でも香港に適用可能というわけではなく、香港特別行政区に権限がない国防、外交などに限定されるとも定められている。
これらの法律は香港基本法の「附件三」(Annex III)にリストアップされ、その追加と削除については全人代常務委員会の決定という形で発表される。「附件三」でリストアップされた法律は香港の中国への返還直後の1997年7月1日に追加と削除が行われた後、1998年、2005年、2017年に追加が行われている。現在「附件三」には13の法律が含まれており、そのうち建国記念日、国旗、国歌など国家の儀礼的なことを定めた法律が5つ、領海やEEZ(排他的経済水域)に関する法律が3つ、外交特権・領事特権に関する条例が2つである。その他に国籍法、香港特別行政区に人民解放軍を置く法的根拠となる香港特別行政区駐軍法、さらに外国の中央銀行に法的特権を認める法律(いわゆる「外国央行法」)がリストアップされている。
今回の「香港版国家安全法」は「附件三」に追加される形で施行される。ただしそれは2015年に施行された既存の国家安全法を全国性法律として「附件三」に追加する形ではなく、新たに全人代が法律を作り、それを「附件三」に盛り込むことで施行される。そのためにこの香港向けの国家安全法は中国本土の従来の国家安全法との区別を行うために「香港版国家安全法」と呼ばれている。
これまで見てきたように、全国性法律という枠組みが使われるのは、これが初めてというわけではない。だが、香港の言論の自由に対し中央政府の機関が中国本土の法律によって直接的に介入するという点で懸念が集まっている。
なお、この懸念は5月22日に発表された「全国人民代表大会関於建立健全香港特別行政区維護国家安全的法律制度和執行機制的決定」(草案)に、「全人代常務委員会に香港で国家の安全を守るための法律を制定する権限を与える」という文言があったことで明確化した。なお、この決定が示しているのは中央政府が国家安全を守るための法律を制定するということだけではない。中央政府の国家安全に関わる機関が必要に応じて香港にも機関を設置することが定められている。これは中国の公安機関が直接香港で活動を行う可能性があり、その場合は既存の一国二制度の形を相当大きく変えることになる。その他にも香港政府が国家安全を推進するための教育や国家安全を脅かす行為への取り締まりの状況を定期的に中央政府に報告することも定められている。
2つの国家安全法
なお、香港版国家安全法は香港基本法で香港特別行政区自身が制定すべきだとした国家安全法の完全な代替となるものではない。先述の決定は「香港は香港基本法に基づいた国家安全法を制定すべきだ」と依然として求めているし、中央政府の機関だけではなく香港の行政機関、立法機関、司法機関自身が法に従って国家安全を守るための取り組みを行うように求めている。また2つの法律が言及している国家の安全を損なうとされる行為は若干異なる。
まず、香港基本法が制定を求めている国家安全法と全人代が定める香港版国家安全法は「国家分裂」や「転覆」(顛覆)をもくろむ活動を禁止するという点では一致している。ただしこの転覆は香港基本法においては「中央人民政府を転覆させる行為」と明確に定められているのに対し、全人代の決定は「国家政権を転覆させる行為」とあり香港政府もそこに含まれる可能性がある。もしそうなれば、中央政府とは無関係な香港政府への抗議活動が、全国性法律としての香港版国家安全法で取り締まられる可能性もある。全人代が定める香港版国家安全法のみが組織的テロリズムの取り締まりについて言及しているのも注目すべきポイントだ。これは中央政府がテロリズムに類するものとみている香港の抗議活動を強く想定したものと思われる。
また、「外国勢力」のどのような介入を禁止するのかも異なる。香港基本法は香港特別行政区自身が「外国の政治団体が香港で支持活動をすること」「香港の政治団体が外国の政治団体と関係を持つこと」を禁止する法律を制定することを求めている。一方で全人代の決定は香港の政治問題に対しての外国勢力の介入を禁止するものとしかなく、香港への外国勢力(原文には「境外勢力」ともあり、台湾も想定していると思われる)の幅広い関与が禁止されることが予想される。ここで言う外国勢力が一体何を指すのかは現時点ではよく分からず、香港の抗議活動における様々な反政府勢力や報道関係者が外国勢力と見なされるという懸念もある。
2つの国家安全法が今後どのように施行されるか、そしてそれが実際にどのように運用されるかは現時点でははっきりと分からない。だが、仮に2つの国家安全法が実際に施行されるとかなり幅広い分野の反政府活動が規制される可能性が生じる。
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