5月24日、香港で再び大規模な抗議活動が起きた。中国本土で全国人民代表大会(全人代、国会に相当)が開催され、香港立法府の頭越しに「香港版国家安全法」を本土側で策定する方針が決まったのが原因だ。この「香港版国家安全法」はどのような歴史的経緯で制定されることになり、なぜ香港の民主派に深刻な懸念を抱かせているのかを、分かりやすく解説する。
(写真:AP/アフロ)
(写真:AP/アフロ)

再び動き出した香港の抗議活動

 5月24日、香港島の中心部である銅鑼湾(コーズウェイベイ)で新型コロナウイルス流行以降最大規模の抗議活動が発生した。この抗議活動は警察の許可を受けておらず、なおかつ香港政府は新型コロナウイルスの感染防止のために9人以上で集まることを禁止している。そのため、香港におけるリアルな抗議活動は平和的なものも含めて基本的に全て違法なものだ。それにもかかわらず、実際に何人が参加したかは不明なものの、一時は銅鑼湾を東西に貫く大通りである軒尼詩道(ヘネシーロード)には人が溢れた。

 この抗議活動は中国による「香港版国家安全法」制定に対して実施されたものだ。国家安全法が単に香港の言論・政治活動の自由をさらに制約するという懸念のみならず、香港の議会(立法会)ではなく中国の全国人民代表大会(全人代)がその法を制定するという点が、これまでにないレベルでの一国二制度の「破壊」であると捉えられ波紋が広がっている。

かつてデモで阻止された国家安全法

 もともと国家安全法は香港の「憲法」に当たる香港基本法23条において、香港特別行政区自身が、香港の法制度の下で「国家安全条例」として定めるものとされていたものだ。23条は国家への反逆、国家の分裂、反乱の扇動、中央政府の転覆、国家機密の不正な取得を禁止し、外国の政治組織が香港で政治活動を行ったり香港の政治団体が外国の政治団体と関係を持ったりすることを禁止するための法制定を求めている。

 同じ特別行政区であるマカオ基本法23条にも同様の規定がある。民主派の力が香港ほど強くなかったマカオの場合、2009年に立法会で何厚鏵行政長官の下、国家安全法を成立させた。一方、香港は2003年に董建華行政長官の下、法律制定を進めようとした。03年7月1日に民間人権陣線が実施した抗議活動には、SARS(重症急性呼吸器症候群)への香港政府の対応に批判が高まっていたこともあり主催者発表で約50万人が集まった。財界に支持基盤を持つ自由党が反対に回ったこともあって、2003年9月には国家安全条例の草案は撤回されている。

 その後も国家安全条例に関する言及は何度かあったが今回、事態が急転直下で動いたのは、もちろん2019年6月から続く一連の大規模な抗議活動が原因だ。逃亡犯条例の改正反対運動から続く香港での抗議活動に対し、中央政府やその強い影響力の下にあるメディアは度々外国勢力や一部の過激な国家分裂主義者が「中国の内政問題」である香港問題に介入してきたと批判してきた。香港での反政府的な動きが「国家安全」に直接的に関わることとして、全人代が「香港版国家安全法」を制定する動きを見せたのだ。

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