日本生まれのハンバーガー店「ドムドムハンバーガー」。チェーン店として一時は400店舗あったものの27店舗にまで縮小し、倒産の危機に直面した。運営会社の変更などで過去の詳細は分からないが、「記録が残る限りは赤字が続いていた」(ドムドムハンバーガー)という。だが2021年3月期にはついに最終黒字化を果たし、22年3月期も2期連続で黒字となったようだ。この起死回生の立役者が藤﨑忍氏だ。前編では専業主婦から39歳で初めて働き始めた藤﨑氏が、なぜドムドムフードサービス(神奈川県厚木市)を立て直せたのか、その取り組みについて紹介する。

「稟議書(りんぎしょ)」とは? 分からないことだらけだった

 藤﨑忍氏とドムドムフードサービスの出合いは2017年。藤﨑氏が新橋で小料理屋を営んでいたとき、お客としてドムドムフードサービスの親会社レンブラントホールディングスの当時の専務に声をかけられたのが、きっかけだった。

 最初はメニュー開発の顧問として働き、2カ月ほどで社員となった。店長を経てエリアマネージャーとして働いていたある日、決算書を見た藤﨑氏は衝撃を受ける。

 「自分の人生では見たことのないようなマイナスだった。このままだとドムドムが倒産してしまう!と居ても立っても居られなくなった」

 会社を守りたい一心で、藤﨑氏は駅のホームから専務に電話をかけ、「経営に対して意見を言える立場にしてください!」と訴えた。

 「それは難しい」とそのときは断られたが、気持ちが収まらない。改善案を書き連ねた長文のメールを送信した。

 その情熱が届き、なんと入社から9カ月で社長に抜擢(ばってき)。当時6人いた役員は全員が男性だった。藤﨑氏にとってみれば、「私が女性だとか、周りが男性だとかは、まったく関係なかった。ただ、ものすごく緊張感があった」と振り返る。

 「自分自身の経験は浅く未熟。専務に直談判はしたものの、まさか自分が社長になるとは思っていなかった。意見がきちんと反映される立場を求めましたが、自分には全権を担うだけのスキルを持ち合わせていないことだけは自覚していたので。そんな私が社長になったことで、当時の役員も社員たちも不安だっただろうなと思います」

 経営に関する言葉、業界に関連する言葉、とにかく分からないことばかりだった。

藤﨑忍(ふじさき・しのぶ)
藤﨑忍(ふじさき・しのぶ)
1966年生まれ。青山女子短期大学卒業後、すぐに結婚して政治家の妻になる。39歳で初めて働き、SHIBUYA109のブティック店長、居酒屋オーナーを経て、2018年にドムドムフードサービスの社長に就任(写真=竹井俊晴)

 「今では笑い話ですが、私、稟議書って言葉も知らなかったんですよ。そういう一つ一つですよね。日次で売り上げを予測するためのシステムも分からない。エクセルもうまく使えない。当時私は50歳ですから、周囲は当然分かるだろうと思いますよね。だから誰にも聞けない。一つ一つ死にものぐるいで勉強していきました」

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