「21世紀はロボットと共にある」――ひと昔前に、盛んにメディアで使われたフレーズだ。
日本の少子高齢化が進み、科学技術立国が陳腐化するまでは現実のものとして可能性を感じていた。
2000年11月にホンダから発表されたヒューマノイドロボット「ASIMO」も、その未来像を現実として感じさせるロボットだった。
だが、22年になってもパーソナルロボットはまだまだ身近な存在になり得ていない。
ソニーの「QRIO」は発売されず、ソフトバンクの「Pepper」はだんだんと街から姿を消し、ASIMOの開発チームは解散。
想像していたより、ずっと未来は現実的だった。
開発終了後も日本科学未来館で活動を続けていたASIMOだったが、22年3月末でついに卒業。
人々がASIMOを見る最後の機会となってしまった。
ASIMOの担ってきた役割とロボット社会の今後について日本科学未来館科学コミュニケーション専門主任の小沢淳さんに解説していただいた。
ASIMOの仕事は動くデモを見せることではなかった

20年間の長きにわたり、日本科学未来館(東京都江東区、以下、未来館)でASIMOは活躍しました。足跡を教えてください。
小沢淳さん(以下、小沢さん):ASIMOは、2002年未来館に「科学コミュニケーター(当時はインタープリター)」として入社。館内での案内や展示紹介などを行っていました。20年間で延べ1万5663回(2月末時点)のデモンストレーションを行い、200万人の人々と触れ合ってきました。
科学コミュニケーターとは、どういった職業なんですか?
小沢さん:高度な科学技術であっても、分かりやすく理解できるよう身近なものと結びつけて、かみ砕いて解説するなど、研究者と市民をつなぐメディアのような役割です。学芸員と異なり、研究者や技術者と連携し展示物を媒介にして、次の世代に科学技術に興味を持ってもらうきっかけづくりをしています。未来館にはASIMO以外にも約50人の科学コミュニケーターが勤務しており、それぞれ、多様なバックグラウンドを持っています。物理学、化学、生物学、社会学、心理学などです。
この20年でASIMOはいろいろなことをしてきました。
未来館に来た当初は、ロボットが2足歩行することも珍しかったので、パフォーマンスをメインにしてロボットをじかに見てもらうことを目的としていました。途中からは、科学コミュニケーターらしく、展示を見に来た人とコミュニケーションを取ったり、特別展を紹介したり、ホリデーシーズン向けに独自のシナリオを組んで実演したりしていました。未来館のマスコットであり、ロボットに興味を持つことへのひとつのきっかけとなっていたと思います。
中でも、14年4月オバマ米大統領の来日時に行われたASIMOとのサッカーは印象深かったです。

何度も予行練習をして当日の成功を願っていましたが、キラーパスをオバマ大統領が上手にトラップしてくれてホッと胸をなで下ろしました。ASIMOも頑張りましたし、オバマ大統領も頑張ってくれた(笑)。
科学コミュニケーターとしては、かなりの先輩なのですね。後輩には厳しくありませんでしたか?
小沢さん:いえいえ(笑)。優しい先輩ですよ。

未来館に来た当初は、人間がASIMOを同僚として受け入れていく過程を観察する心理学的な調査も行われていました。ヒューマノイドロボットが一般化する未来において、人がどう感じ取っていくか、どう関係をつくっていくかは課題となっていくかもしれません。
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