買い占めに走る消費者は「間抜け」なのか?
ゲーム理論「協調ゲーム」で考える消費者行動の合理性
トイレットペーパーなど紙製品を買うため朝から並ぶ人々(写真:ロイター=共同)
新型コロナウイルスのまん延をきっかけに、マスクやトイレットペーパー、一部の食料品などが品薄となり、大きな社会問題となっています。日本だけでなく、香港、シンガポール、イタリアなど世界各国で人々がスーパーや薬局に押し寄せ、買い占め騒動が起こりました。急速に新型コロナウイルスの感染が拡大している米国では、銃弾の買い占めも起こっていると報道されています。
感染症対策としてにわかに需要が増えたマスクが不足するのは理解できますが、消費量が大きく変化するとは思えない日用品や食料品が、なぜ品切れになってしまうのでしょうか。本稿では、経済学者である筆者が専門とするゲーム理論の「協調ゲーム」(コーディネーション・ゲーム)を用いて 、買い占めが起きる理由とその解決策について考えていきます。
なお「買い占め」は、少数の買い手が商品をすべて買ってしまうような状況をイメージさせるため、本来ならば「買いだめ」などの表現にする方が適切かもしれません。しかしここでは、メディア報道に合わせて「買い占め」を使うことにします。
「囚人のジレンマ」ではない!
SNS(交流サイト)などでは、買い占め騒動を、ゲーム理論の「囚人のジレンマ」という別のゲームで分析する投稿を数多く見かけました。囚人のジレンマは、恐らくゲーム理論で最も有名なゲームでしょう。そこで、まずこの囚人のジレンマについて簡単に紹介して、なぜ本稿では囚人のジレンマではなく協調ゲームを用いるのか、その理由について説明します。
囚人のジレンマは、次のような状況を表しています。別々の部屋で取り調べを受ける2人の囚人にとって、両者が黙秘すれば軽い刑で済むにもかかわらず、「君だけが自白すれば無罪にする」「君だけが黙秘すると非常に重い刑になる」と持ちかけられ、結局は2人とも自白してしまう。自分(だけ)の刑を軽くしようとしてそれぞれの囚人が「自白」することで、結果的に2人とも重い刑を受ける、つまり全体としては望ましくない結果に陥ってしまう、というジレンマをこのゲームはうまく表現しています。
ここで、囚人→消費者、黙秘→あわてない、自白→買いに急ぐ、と置き換えて、囚人のジレンマを用いて買い占め騒動を分析するとどうなるでしょうか。各消費者が品不足に備えるために「買いに急ぐ」結果として、全体にとっては望ましくない買い占めが起こります。
このように、実は囚人のジレンマで考えても、買い占めが実現することは表現できるのですが、その半面、なぜ普段は買い占めが起きていないのか(相手が「あわてない」ときには自分が「買いに急ぐ」必要がない)を、このゲームではうまく説明できません。
ゲーム理論では、自分だけ行動を変えても得をしない(従って、その状態にとどまることが誰にとっても望ましい)ような安定的な状況を「ナッシュ均衡」と呼びます。 上で説明した囚人のジレンマのナッシュ均衡は1つだけで、両者ともに「買いに急ぐ」しかありません。後述する協調ゲームでは、この「買い占め均衡」に加えて、両者とも「あわてない」で買い物をする「いつもの均衡」も存在し、ナッシュ均衡が2つあるのが特徴です。
ナッシュ均衡が2つある「協調ゲーム」では、参加者が同じであっても、状況に応じて異なるナッシュ均衡が実現することを表現できます。買い占め騒動に代表されるように、何かをきっかけに人々の行動が一斉に変わる(コーディネートされる)現象の分析には、ナッシュ均衡が1つだけの囚人のジレンマではなく、2つある協調ゲームの方が向いているのです。
さて、メディアの報道では、「デマに踊らされた消費者による理性を欠いた行動」が買い占め騒動を引き起こしている、といった解説をよく目にします。ここで言うデマとは、「ある商品が不足する」という(その時点では)根拠に乏しい噂や推測のことを指す、と考えてください。
しかしこうした解説の言いたいこととは、結局、【買い占めは消費者が間抜けだから起きる】と要約することができそうです。
ズレる個人と全体の利益
対応策として、「みなさん冷静に」「必要な方が買えるように配慮を」という形で、人々の理性や道徳心に訴えるメッセージがしばしば発信されています。目的はもちろん、当事者である“間抜け”な消費者の意識を変えることです。
けれども、この種のお説教が効果的ですぐに問題が解決するのであれば、そもそも買い占め騒動はここまで大きな問題になってはいないでしょう。現実には、どれだけ意識を高く持とうとしても、家でなくなりそうなトイレットペーパーが目の前で売られていれば、つい多めに買ってしまうもの。こうした消費者を、“間抜け”な存在と単純に決めつけていては、有効な解決策はいつまでたっても得られません。
これに対してゲーム理論では、自分たちが置かれた状況をきちんと理解している消費者が、【品薄状態に対処することで起きてしまう】現象が買い占めである、というふうに考えます。
きっかけはデマであったとしても、刻々と店頭から消えていく商品を、それが品切れになる前に買い急ぐのは、個々の消費者の立場で考えると非合理とは言えません。むしろ、在庫が正常に戻るまで、ある程度の備蓄をしておくのは正しい対処法だと考えられます。
なおここで、対処法が“正しい”のは、消費者本人にとって望ましい(=便益のある)行動をとっている、という意味においてです。経済学ではよく、「合理的である」とも表現します。買い占め行為自体が、道徳や正義の観点から正しい(=公正である)と称賛しているわけではありません。
皮肉なことに、個人にとって望ましい自衛策が、社会全体では品切れという望ましくない結果をもたらしてしまう――。個人と全体での利益の不一致がもたらす、こうした不条理の分析を得意とするのがゲーム理論なのです。
買い占めを引き起こす「均衡のわな」
買い占め騒動は、ゲーム理論における「協調ゲーム」(コーディネーション・ゲーム)と呼ばれるゲームを通じて分析することができます【注1】。具体的には、次のようなストーリーをイメージして下さい。
【状況設定】
2人の消費者(自分と相手)が、それぞれ独立に消費行動を決めるとします。もちろん実際の消費者は、2人だけではなく大勢いるでしょう。このゲームで、「相手」を「自分以外の平均的な消費者」と解釈することで、大勢の中で自分がどう振る舞うべきかを考察することができます【注2】。
- 各自が選べる行動は「あわてない」と「急いで買う」の2種類。
- 起こり得る4通りの結果に応じて得られる利得(満足度)は以下:
- 2人とも「あわてない」・・・在庫が豊富にあり、自分が買いたいタイミングで商品が買える → 利得は 2
- 自分だけ「急いで買う」・・・商品は買えるが、買いに急ぐ分のコストが1だけ余計にかかる → 利得は 1
- 2人とも「急いで買う」・・・品薄状態になり、商品を買えないリスクで利得がさらに1下がる → 利得は 0
- 自分だけ「あわてない」・・・品切れが起こり、必要なときに商品が買えなくなってしまう → 利得は -1
以上を利得表と呼ばれる表の形で整理すると、【表1】のようになります。各マスの左側の数字が自分の利得、右側の数字が相手の利得を表しています。これは各消費者の満足度のようなものを表していて、数字が大きいほどその個人にとって望ましい結果である、と考えてください。
ここで、表の左上の「いつもの均衡」と右下の「買い占め均衡」という2つのナッシュ均衡に注目してください(なぜこれらがナッシュ均衡になるのかは以下で説明します)。「いつもの均衡」では、誰もあわてていないので、自分だけ余計なコストをかけて買いに急ぐ意味はありません。
そのため、自分も「あわてない」のが正解です。結果的に店頭に在庫が残るので、各消費者は自分が買いたいタイミングで商品を買うことができます。買い占め騒動が起こる前に成立していた通常の状況が、この「いつもの均衡」だと考えられます。
一方の「買い占め均衡」では、すでに周りの消費者が買い急いでいるため、自分だけあわてないでいると、必要なときに商品が買えなくなってしまいます。これが自分にとっては最悪の結果です(利得は -1)。ここで自分も買いに急げば、利得は 0 と低いものの、何も買えないよりはましな結果が実現できます。
つまり、まわりの消費者が買いに急いでいるときは、自分も「買いに急ぐ」のが個人としてはベストな選択になる。こうして、個々の消費者にとっては正しい行動が、全体として望ましくない「買い占め均衡」をもたらしてしまうのです。
利得を比較すれば明らかなように、全員にとって「いつもの均衡」の方が「買い占め均衡」よりも望ましい。にもかかわらず、いったん実現した「買い占め均衡」から逃れるのが難しいのは、それがナッシュ均衡という名の、いわば「均衡のわな」に陥っていて、一人ひとりの消費者ではどうにもできないからなのです【注3】。
みんなの「期待」を同時に変える
では、個人レベルではどうしようもない「買い占め均衡」のわなから逃れるためには、どうすればよいのでしょうか。品切れになった商品がすぐに増産できるのであれば、買い占め騒動は短期間で収束します。ここでは、生産者による急な増産が難しいような場合に、消費者の行動を変えることで「いつもの均衡」に戻ることができないか、について考えてみましょう【注4】。
「買い占め均衡」に陥っているときに、自分一人だけ行動を変えても損をしてしまうのは前述した通りです。重要なのは、自分だけでなく周りの人々の行動も一斉に変わること、あるいはそう確信できることです。みんながあわてない「いつもの均衡」に戻る、という期待を全員で共有することができれば、悪い均衡から良い均衡に(理屈の上では)ジャンプすることができます。
例えば、スーパーや工場などに在庫が潤沢にある様子がマスメディアで報じられると、こうした期待が共有されやすいでしょう。報道を目にした一人ひとりが安心するだけでなく、「同じ報道を見た周りの消費者の行動もきっと変わるに違いない」という期待がお互いに生まれるからです。
逆に、空になった商品棚やスーパーに殺到する買い物客の様子などが流れると、「買い占め均衡」への予想が共有されやすくなり、均衡のわなから抜け出すのがさらに難しくなってしまいます【注5】。
トイレットペーパー、たくさんあります!(写真:FotografiaBasica/Getty Images)
ただここで注意が必要なのは、仮に自分だけが正確な在庫情報を把握できたとしても、それだけでは周りの消費者の行動が変わらないため、期待が共有されないという点です。
繰り返しになりますが、均衡状態から抜け出すためには、個人の行動を変えるのではなく、人々の行動を一斉に変えなければいけません。メディア報道などを通じて、多くの人々が情報を同時に受け取ることが、期待を共有して一斉に行動を変える上で、決定的に重要なのです。
悪い均衡から良い均衡へ移行するには?
悪い均衡から良い均衡へ移行するための働きかけは、「言うは易く行うは難し」の典型です。ゲーム理論を使っても、スムーズな移行の仕方が分かるわけではありません。ただ、個人と全体で利益の不一致があること、そのせいで問題の解決が簡単でないことは、買い占め騒動に限らず、様々な社会問題を理解・解決する上で役に立つ見方だと思います。ゲーム理論が、今まで以上に政策のデザインに活用されることを、この分野の研究者として期待しています。
【注1】細かく言うと、協調ゲームの一種である「鹿狩りゲーム」と呼ばれるゲームを本文では考察します。
【注2】参加者の数自体を増やした、多人数版の協調ゲームを考えることもできますが、そうした複雑なゲームから得られる洞察は、単純な2人のゲームと大きく変わりません。囚人のジレンマや協調ゲームなど、参加者が2人しかいない(非現実的な)ゲームがよく用いられるのは、分析が単純なだけでなく、たった2人でも問題の本質に迫ることができる場合が珍しくないからです。
【注3】「買い占め均衡」のように、みんなにとって悪いナッシュ均衡が実現してしまう現象は、「協調(コーディネーション)の失敗」と呼ばれます。
【注4】商品の売買を禁止して配給制とする、といったラジカルな解決策(ゲームチェンジ)もあり得るでしょうが、ここでは協調ゲームの枠組みの中での対応策に焦点を当てます。
【注5】感染症とは直接関係のないトイレットペーパーやティッシュペーパーで真っ先に買い占め騒動が起きたのは、1970年代のオイルショック時にこれらの商品が実際に品切れとなった、という共有された過去の体験が影響しているのかもしれません。商品がなくなるという悲観的な予想の共有が、こうした商品に対しては(他の商品と比べて)起こりやすい、と考えられるからです。
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