予算なき故の定石破り

 この定石に対して初代の「はやぶさ」は、プロマネを務めた川口淳一郎・宇宙研教授が1990年代前半に「重力の小さな小惑星ならば、ステップを踏まずに一気にサンプルリターンを実施できる」と気がついたところから始まっている。その背景には、日本の宇宙科学予算が少なく、定石通りでは諸外国に離される一方で、最先端の科学的成果を出すには至らない、という事情が存在した。

 小惑星は数が非常に多く、しかもバリエーションに富む。岩石主体のS型、炭素を含むC型、金属主体のM型、有機物が存在するD型などの種類が存在する。しかも太陽から遠い場所を巡る小惑星は氷の状態で水を保持している。小惑星のサンプルを入手することで、太陽系ができてから現在までの進化、さらには生命誕生の起源に迫ることが期待できる。

 こうして初代「はやぶさ」の開発が1996年に始まり、2003年5月9日に打ち上げられた。関係者が「100点満点ではなく500点満点で評価してほしい」というほど、野心的な技術を組み合わせて野心的な目標に挑む「試験機」だった。「一気にサンプルリターン実施」を狙った結果が、普通ならそれ1つができたら100点満点という目標が5つも直列に連なるミッション設計だったのだ。このことは打ち上げ当時、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とも言われた。虎の穴にもぐり込む覚悟で挑む、難度の高いミッションだったのだ。

 当初、初代はやぶさは2007年帰還予定だったが、相次ぐトラブルで3年延びて、2010年6月13日となった。初代はやぶさが宇宙のかなたで繰り広げた大冒険と劇的な帰還は、社会的な話題となり、複数の劇場映画まで制作され、帰還に成功した再突入カプセルは全国各地で巡回展示された。

 後継機のはやぶさ2は、初代が危機に陥っていた2006年初頭に、「もしも初代が失敗したらすぐにでも次を実施する」という意図で検討が始まった。「初代は技術試験機であり、その成果を生かした“本番”を実施しなければ、初代の意味が失われる」というのが川口教授の考えであった。

「続けること」ができなければ意味はない

 個々のミッションの「成功した」「失敗した」よりも、「続けてやる。続けてやることで、できることを増やしていき、系統的に人類社会に新たな知識をもたらす」。これは先の「定石」とも通じる考え方であり、この手法を「プログラム的探査」という。

 当初、はやぶさ2は2010年打ち上げを予定していた。

 しかし、初代はやぶさの劇的な帰還と成功、世間の熱狂をもってしても「はやぶさ2」はなかなか実現には至らなかった。

 探査に大きな影響力を持つ学会は探査の方向性を巡って紛糾して「はやぶさ2」支援ではまとまらず、政治と官僚システムは「科学者がまとまらなければ予算の付けようがない」という理由で計画推進を渋る。打ち上げ時期は2012年、2014年と遅れていった。探査目標である小惑星リュウグウの軌道の関係で、2014年の打ち上げを逃すと、次は6年後の2020年まで機会はない。6年間の空白を人員と体制を維持したまま乗り切ることは不可能だ。2014年を逃すことは計画の消滅を意味した。

 クライマックスは2012年度の予算編成でやってきた。この時、JAXAははやぶさ2の計画に73億円の予算要求を出した。2014年打ち上げのための掛け値なしぎりぎりの金額だった。ところが2011年12月、時の野田佳彦内閣はこれに対して30億円という回答を出したのである。この額は2011年度予算と同額だった。73億円なければ計画が実施できないのなら、拒否はゼロ回答が筋だ。それを前年と同じ額の答えを戻したということは「政府としてはカネは出すポーズはするが、中止の責任は取らない」という意味になる。

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