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 2度目の東京オリンピックの開催まであと1年。今回は、第二次大戦後、町工場から出発して大企業へと成長、日本のスポーツ振興にも大きな役割を果たしたアシックスの創業者、鬼塚喜八郎氏のインタビューをお届けします。

掲載号:1977年3月28日号(記事の内容は掲載当時のままです)

鬼塚喜八郎(おにづかきはちろう)氏
大正7年、鳥取県生まれ。59歳。昭和11年、旧制鳥取第一中学(現鳥取西高)を卒業、約10年間の軍隊生活を経て、同24年に鬼塚商会を設立。その年に、社名をオニツカと改称し現在に至る。鳥取一中時代は柔道、剣道をたしなみ、体には自信があったそうだが、村の相撲大会で胸を強打、その後肋膜炎に悩まされる。会社を設立してからの二度の闘病生活と軍隊経験が「経営面での糧になっている」という。現在は健康そのもので、スポーツ用品会社らしく、週1回のゴルフが唯一の趣味とか。

1点に集中すれば必ず穴が開く鬼塚喜八郎氏(オニツカ社長)が語る“きりもみ”経営

 一介の町工場から上場企業へ。中小企業の夢を果たし、いまやスポーツシューズ市場の60%を抑えるオニツカの鬼塚喜八郎社長は、中堅企業が伸びるには「すべての力を1点に集中させ、限られた市場につき刺す」という“弱者の戦略”しかないという。自らを弱者と規定し、あくなき発展をめざすオニツカイズムにスポットを当ててみた。

(聞き手は本誌編集長、吉村久夫)

 7月をメドに3社合併(スポーツ衣料メーカーのジィティオ、ジェレンクと)という思い切った手を打たれますね。

 ええ。もう社名も決め「アシックス」というんです。これはね、ローマの詩人ユーエナリスののこしたラテン語の「Anima Sanain Corpore Sano」(健全なる精神は健全なる身体に宿る)の頭文字をとったものなんです。もともとうちの会社は戦後、スポーツによって健全な青少年を育成しようとして出発したんです。新会社の社名を専門家にたのんだら、これが出てきましてね。なんだこれなら、うちが初めからやっとることじゃないか。それならこれにしよう、ということで決まったんです。

 合併のねらいはどこにあるんですか。

 世界市場戦略を確立することですね。スポーツの世界ははき物からウェア(衣類)、帽子、バッグとトータルに攻めていかないと攻めにくい市場でしてね。輸出を始めてから16~17年、東京オリンピックを機に輸出を始めて、くつ一本槍で攻めていったんです。しかし、このやり方では限界がある。実は昨年、モントリオールのオリンピックのとき、オリンピック村に入れる許可を得て、サービスコーナー、売店を持ったんですが、くつだけ売ろうとしても売れない。西独のメーカーなどはくつもウエアもトータルにして進出してきているんです。

 男子バレーで優勝したポーランドチームなんかはそれまでわたしどものくつの愛用者だったんですが、西独のメーカーに上下をそろえられてやられてしまったんです。「うちの政府は西独のメーカーとシューズ、ウェア、ボールそのほか付随するものすべてを含めて契約してしまったから、シューズだけお前のところのものを買うわけにはいかない」というんです。

 幸い、こんど合併する3社は専門エリアが違うんです。ジェレンクは競技用、トレーニング用ウェアの優秀なメーカーですし、ジィティオは日本のスポーツ用ネットの70から75%のシェアを持っています。

 モントリオールでフィンランドのビレン(5000メートル、1万メートルの両種目に優勝)が頭上にかかげて会場を1周したオニツカのくつは、たしか「タイガー」ブランドでしたね。合併でブランドはどうなるんですか。

 新会社の社名「アシックス」がそのままメーンブランドになり、各種目ごとに、たとえばくつなら「タイガー」といったふうにまたブランドがついてくるわけです。サブブランドと言いますかね。需要が細分化していますんで、そうした市場に鋭く商品を供給するためには、ほかと差別化するために固有のブランドをつけておかないといけないんです。