今回ご紹介するのはニトリの似鳥昭雄氏(現ニトリホールディングス会長)の社長時代のインタビューです。
北海道からスタートし、全国に広がったニトリ。郊外型のみならず、近年は都心でも積極的に店舗を展開しています。
手ごろな家具やインテリア用品によるコーディネートを提案するなど、暮らしへの提案で急成長を遂げた似鳥氏の経営哲学をお読みください。
掲載号:2003年8月18日(記事の内容はプロフィール部分を含め、掲載当時のままです)
似鳥 昭雄(にとり・あきお)氏
1944年、北海道生まれ、59歳。66年北海学園大学経済学部卒。サラリーマンを経験後、67年似鳥家具店を創業。72年株式会社化を経て、86年現社名に変更。89年札幌証券取引所に上場、93年北海道外に初出店。現在、売り上げの80%は道外。2002年10月東証1部上場。小売りでは、大手家具専門店の大塚家具の大塚勝久社長や、西友の木内政雄CEO(最高経営責任者)らと親交がある。ホームセンター業界にも多数の知り合いがいるという。趣味はカラオケ。(写真:共同通信)
デフレ時代を駆け抜ける家具・インテリアチェーンの大手企業。
「30年で売上高1000億円」の目標をわずか1年違いで今期、達成する。
リスクに挑む独自の収益モデルが原動力だ。
(聞き手は本誌編集長、原田 亮介)
問 北海道から店舗展開を始め、この消費不況と言われる逆風の中でも順調に成長しています。2003年2月期(単体)は売上高883億円、経常利益83億円と過去最高を更新しましたが、今期の予想ではそれぞれ、1000億円、100億円の大台に乗ります。
答 今期は22店を出店する予定ですので、店数(前期末82店)も100店に到達します。実は、30年で100店舗、売上高1000億円、経常利益100億円にしようという計画がありまして、前期がその目標の年でしたから、1年ずれ込んで、31年になっちゃいました。来期以降も20店以上を出していく予定です。
問 30年前に立てたということは社長が29歳ですか。なぜ、その時描いた通りにたった1年違いで実現できたのですか。
答 いやあ、できないだろうなあと思ったのができちゃいました(笑)。よく言うじゃないですか。「棒ほど願って針ほどかなう」とか。やっぱりビジョンだけでは足りない。ロマンと夢ですね。人のため、世のために貢献するという社会的使命があれば、そこに働いている人たちと夢を共有できる。凡人の集まりですが、上下なくみんな平等に夢を持っていこうというエネルギーが底力になります。結集していけるんですね。
問 そのロマンというのは。
答 私は社会に出て最初1年ちょっとサラリーマン生活をし、30坪の家具店を開業しました。2店目も丸々借金して250坪でオープンしたんですが、借金を返そうかという時に近くにその5倍の大きさの店ができましてね。つぶれそうになって困っていたら、米国での家具研修ツアーがあったので参加したんです。家具屋はどうなるんだろうと思って。行ったら、日本人の暮らしが非常に貧しいことを思い知らされました。日本は米国より3倍も高く買わされている。価格は下がってはきましたが世界基準から見れば、衣食住でまだ2倍の開きがある。会社に先がないことも忘れ、日本の暮らしを米国並みに豊かにしたいと志を立てました。人生観が変わったわけですよ。ビジョンとしては、米国で120年かかったことをそのままコピーすれば60年でできるかもしれない。でもそれだと私も死んでいるかも分からないので、じゃあ、前半の30年でと。
家具は買い替えサイクルが10~20年です。一方で、シーツや布団カバーは衣服と同じように季節感や雰囲気で短期間で替える。それを増やしていこうと始めたのが日本初の「ホームファニシングストア」だったんです。お金がなかったから、最初の10年は信用作り、次の10年は人作り、終わりの10年は米国並みの世界基準の商品を作っていこうということです。
デフレの絶頂、今は疾駆
問 今振り返ると、方向は間違ってなかったということですね。
答 そうです。売り上げや利益が目的じゃなくて、人々のためにとやってきましたから。最近は利益が予想以上に出ていて、目標値を常に超える店もいっぱいある。逆に非常に危機感を持っています。バブルみたいなことが起こるのではないかと。油断が怖い。自信は持つべきですが、過剰になって傲慢になったり、慢心したりすると、その時からもう崩壊が始まるんじゃないか。絶えず変化に対応し、進化していくしかありません。
問 拡大のプロセスではインフレ局面だったと思いますが、デフレになる大きな節目をいつ感じましたか。
答 1991年頃、本州に出ようと千葉県を中心に3カ所、土地を契約し、手付金として合わせて1億1000万円を入れました。ところが、設計を見積もると、どうやっても採算が合わない。欧米並みの豊かな暮らしをというスローガンを掲げても、それができないのは世の中が間違っているんじゃないか、とその時思いましたね。だから、そんなに長く続くはずがない。下がるのを待とうということで、基礎工事が始まる3日ほど前に、結局3カ所とも出店をやめました。手付金は捨てましたが、20年の契約期間中ずっと赤字の可能性がありましたから。実際に進出したのは93年でした。
問 それから、地価は見る見る下がっていきましたね。
答 これはもうずるずる下がると確信できましたので、今後10年はデフレの絶頂になる、チャンスだ、と見て、97年2月期からは毎期、3年間は5店ずつ、次に10店、23店と出店を増やしました。疾駆ですね。もう走る時代だと。大規模小売店舗立地法に移行した関係で2002年2月期はゼロでしたが、これは踊り場というのか、休む時だと思い、システムなど次の疾駆のための準備に充てました。無理やり出すと、リストラという後始末をしなければならなくなります。
問 店舗については自社で物件を買うケースもありますか。
答 10に1つぐらいですね。ただし、物流センターは買います。昨年までに110億円をかけて、埼玉県白岡町に延べ床面積3万6000坪のセンターを整え、来年は神戸市に3万坪の施設を設ける予定です。売上高が400億円ぐらいの時、銀行さんに100億円以上かかる物件で相談に行ったら、「投資が大きいけど大丈夫ですか」と言うんですよ。採算が合うのが600億円ぐらいだと説明すると、「その通りいくんですか」と尋ねられました。「計画しているのでいくんです」としか言えませんよね。実際、計画通りでしたよ。
問 前期は既存店売上高が4.4%増でした。集客のため、売り場の鮮度を常に意識しているのですか。
答 そうですね。変化しなくてはいけません。商品はデザインもスタイルも1年に40~50%は入れ替えます。繊維なら、家庭で丸洗いし、ノーアイロンで買った時のスタイルを保てるといった使いやすい素材の商品を入れるし、定番品でも回転が悪い商品は外しています。商品開発では、特にパートさんを頼りにしています。パートさんに試作品を作ってもらったり、パートさんを集めて意見を求めたり。うちの顧客の8割が女性ですからやっぱり女性に聞けということです。
問 店舗戦略のポイントはどこに置いているのでしょうか。
答 10年先、20年先に商圏がどうなるのだろうと予測し、すぐにダメになるところには出しません。毎日、アメーバのように地域は動いています。消費者は車で移動しますから、5年、10年で大きく変わるんです。将来、伸びる地域はどこか、流出・流入人口など科学的にデータ分析します。誤差はほとんど上下10%以内です。
店舗年齢いつも6歳以下に
問 商圏が移り変わると、それに応じて、店も動く必要がありますよね。
答 店にも人と同じように寿命があるんですよ。人間の80歳が長生きだとすれば、店は20歳で寿命ということです。つまり、掛ける4。店が開業から10年なら、40歳の中年で、そろそろくたびれてくる。店の大きさも最初は30坪でしたが、今は2000坪と変化してきた。中に入る商品も、立地も、大きさも全部変わっていくわけですね。古い店を残しておくと命取りになっちゃう。スクラップが先に来ないと。
うちはその店の利益が出ているうちにスクラップします。赤字になってからじゃ、もう遅い。困ってから「後始末」するのではなく、余裕のあるうちに「先始末」することが大切です。うちの店は今、平均4.9年ですが、小学校入学前の年齢にしておきたい。
問 店舗のように、社員の年齢構成でも何か法則はあるんですか。
答 うちは社員の平均年齢を30代前半に常にキープしています。30歳を割ると若輩や未熟者の集まりになり、指揮システムも出来上がりません。前期は中途で56人採用しましたが、30代、40代、50代とバランスを取りました。20代の人は30代が教育をする、30代の人は40代の人が指導していくことを考えて。新人教育にも力を入れています。6月に、今春入社の新人244人を7泊9日で米国に連れていきました。最後の日にラスベガスでばくちをするんですよ。何年かすると、みんな仕事でばくちをしたがる。勘と度胸で商品をバーッと揃えようとね。でもそれじゃあ失敗するよ、やっぱり、科学と論理じゃないと何でも成功しないんだ、ということを教えるんです。朝まで好きなだけやってくださいと(笑)。
問 先ほど、30年計画の最後の10年は米国並みの商品を作る期間だと言われました。インドネシアのメダンに主力の自社工場をお持ちですが、国内でそれを実現するのは難しいですか。
答 米国の商品を見て改めて分かったのは、日本では売らんがためのメーカーや問屋さんの政策による品質だということです。買う側に立った品質・機能が米国型。モデルハウスに行くと、絵、照明、陶器類など、ありとあらゆるものの色を統一している。素材や顔料が違うのに、色調とトーンが同じ。しかも、大量生産しているので価格が安い。大手量販店のシアーズ・ローバックには独自のストアカラーがあり、消費者もそれを楽しんでいます。感動、感激、驚愕しました。ああ、これが米国の豊かさなんだと。この品質、この機能なら価格はどの程度か、米国の商品の方がはるかに分かりやすい。
家具は日本独特のデザインや機能があり、トータルでコーディネーションするのが難しい。一時、九州の産地に出向き、生産をお願いしたんですが、塗料の濃淡や値段がアンバランスでした。タンス屋さん、鏡台屋さん、みな違う工場ですからね。1カ所に洋服ダンス、整理ダンス、食器棚、ベッドとそれぞれラインを設け、そこに屋根をかぶせればいいだろうと、インドネシアに出ました。もう8年になり、年間15万本を生産しています。売上高構成比で言うと、全体の65%が輸入品で、そのうちの8%ほどです。
問 インドネシアでは政治的な問題もあり、何かとご苦労されたのではないですか。
答 ええ。ストライキに入ると、火炎瓶を持って工場の中へ投げ込んでくるんですよ。高さ2mだった塀を3mにし、それでも間に合わず4mにしました。高くすると壁を破ってくるので壁も厚くして。昨年12月のストの際には、我々も閉鎖・撤退するかどうか考えましたが、結局、違法ストということで、現地の全従業員1050人から1年半はもうストをしませんという誓約書を取って収拾したんです。
問 よく生産が途絶えずに続けられましたね。
答 とにかく、何が何でも作らなければという使命感ですよ。価格は安いし、やっぱり品質がいいんですよね。よそと競争しても絶対に強いという自信を持っています。座っての作業を立ち仕事に変えるだけで6カ月のストを打つところですけど、そこはあえて曲げずにカンバン方式を入れて、分単位の作業体制を組んでいます。ただ、あと数年すれば年間30万本を生産する必要が出てきますし、リスク分散の意味もあって来年、東南アジアに別の工場を新設する計画を進めています。
社員の技術が一番の財産
問 工場はもちろんですが、海外調達も社長自ら世界中を飛び回って道筋をつけてこられたんですか。
答 いや、全部じゃないです。アジアの調達先は400社あり、当初10年ほどは年に20回くらい足を運び、1カ月の半分くらいは海外でした。それを200社程度に集約しているところですが、20年選手も育ってきて、今は1カ月に1週間ほどですね。欧米向けと日本とでは仕様が違うので最初はクレームの山でしたよ。欧米人は足が長いでしょ。靴を履くと7~8cmも。テーブルの脚を短くしているうちに切りすぎて、仕方なく燃やしちゃったとかね。調達を始めて3~4年し、ようやくクレーム率が10~20%に減りました。
アナリストからは為替変動に対応して、なぜ予約しないのかと言われますが、逆に、変化が激しいとそれに何とか対応しようとするでしょう。そうすると、社員の技術が上がってくる。社員教育になるんです。倉庫をどんどん借りて何億円も損を出すこともありますが、変化に対応していくには、社員の技術が一番の財産になる。だから、よその会社が怖がるリスクをむしろチャンスととらえ、積極的に取りに行く。400社と商社を介さずに、直取引しているのもそのためです。
問 社員のみなさんは、社長の言う通りに動くんですか。
答 海外調達は、1985年のプラザ合意で1ドル150円くらいになった時、「チャンスだ。行くぞ」と言ったのが始まりですが、誰も来なくてね。「社長どうぞ、1人で行ってください」と。寂しく1人で行きましたよ。でも、お客さんのニーズに目を向けていれば、そのうち一緒に来るんですよ。
そりゃ、改革をする時は、誰が社長でも社員は必ず抵抗勢力になりますよ。改善は薬を塗ったり、飲んだりで、そんなに苦労はしませんが、改革はリスクがあってなかなか成功しないし、手術だと血出します。もう生きるか死ぬかですから、嫌がります。ニトリカラーの製品開発に取り組んだ最初の頃は、売れなくて過剰在庫になって、社員ももうやろうとしない。なぜ失敗したか、米国で学び「よし、またやるぞ」と号令をかけたら「やめたのになぜですか」と問い返してきました。そこで、売れなければ会社が危ないぞ、自分たちにかかわってくるぞ、という状態に持っていくんです。すると、こりゃ、まずいと思い始める。失敗してボツになり、さらに調査し、準備して挑戦する。これまで、その繰り返しでした。
問 今後の事業展開については、どのように計算していますか。
答 一応、この先の30年の計画を立てているんです。2030年に店舗数3000、売上高3兆円、それと新しい業態を開発する。海外出店も。
問 3兆円は今期の売り上げ見込みの30倍ですね。
答 前に30年計画を作った時は売り上げが1億5000万円でしたが、30年後に500倍以上になりました。それから見れば、数倍なんて大したことありません。
問 15分の1ぐらいのスピードで大丈夫だと。
答 分母が大きいだけだ、大したことないと考えないと取り組めないですよね(笑)。そうすると、社員も半信半疑でほとんど信用していないけど、やっているうちにやっぱり、その気になってその数字を目標にする。そうするうちに自分たちの技術が自然に上がるんです。でも、そこで改善をしていても間に合わない。大切なのは目標から今を見るワークデザインです。
現在の位置から未来を見ると、改革はなかなかできない、改善しかできない。だけど目標から、今やっていることではダメだと現状を否定する。今の店舗数にするのに30年かかったのを1年でやらなければいけないなら、どうしたらいいかなという発想。それを考えるのは非常にやりがいがあります
傍白
6年前、当時メーンバンクだった北海道拓殖銀行が経営破綻した時の資金繰りの苦労を伺いました。直前まで「借りてくれ、借りてくれ」としつこくつきまとっていた別の大手都市銀行が、拓銀破綻と同時に「あの話はなかったことに」と手のひらを返したそうです。
昨年秋の東証1部上場を機に、その銀行から再び「取引をお願いしたい」という申し出がありました。臆面もなくと憤りつつも、当時の担当役員が札幌まで挨拶に来て、カラオケにつき合うことを条件にしたそうです。「いやあ、カラオケ嫌いで有名な人だったけど、夕焼け小焼けの赤とんぼを歌わせちゃった」。転んでもただでは起きない人だと思いました。
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