オムロンの元社長・立石義雄氏が亡くなりました。謹んでお悔やみを申し上げ、2001年1月29日号掲載の記事をお届けします。

※追記:2020年4月22日

 今回のレジェンドはオムロンの立石義雄氏です。自動改札機や銀行のATMなどの開発で知られるオムロン創業者、立石一真氏の3男である義雄氏は、47歳で社長に就任し、事業を拡大させました。未来の技術を読むリーダーへのインタビューです。ぜひ、お読みください。

掲載号:2001年1月29日号(記事の内容は掲載当時のままです)

<span class="fontBold">立石 義雄(たていし・よしお)氏</span><br />1939年11月1日大阪府生まれ、61歳。62年4月同志社大学経済学部を卒業後、63年に立石電機(現オムロン)に入社。73年取締役、76年常務、83年専務を経て、87年に社長に就任。99年に執行役員制を導入し、執行役員社長を兼務。 オムロンの創業者立石一真の5人の息子の3男。京都商工会議所副会頭、関西文化学術研究都市推進機構理事長などを務める関西財界の顔の1人。西日本旅客鉄道(JR西日本)、日本ベンチャーキャピタルなどの社外取締役も務める。謡曲、絵画が趣味の文化人の横顔も。(写真:読売新聞/アフロ)
立石 義雄(たていし・よしお)氏
1939年11月1日大阪府生まれ、61歳。62年4月同志社大学経済学部を卒業後、63年に立石電機(現オムロン)に入社。73年取締役、76年常務、83年専務を経て、87年に社長に就任。99年に執行役員制を導入し、執行役員社長を兼務。 オムロンの創業者立石一真の5人の息子の3男。京都商工会議所副会頭、関西文化学術研究都市推進機構理事長などを務める関西財界の顔の1人。西日本旅客鉄道(JR西日本)、日本ベンチャーキャピタルなどの社外取締役も務める。謡曲、絵画が趣味の文化人の横顔も。(写真:読売新聞/アフロ)

「アナログとデジタルが融合する時代が到来する」との説に共鳴。
センサーを主力にするオムロンには、大きなチャンスと見る。
次代を見越した技術開発や投資のために米シリコンバレーに拠点。
一見無駄に見える研究開発でも、将来のためとあればやり続ける。

(聞き手は本誌編集長、小林 収)

創業者も当時の先端思想からヒント

 20世紀はコンピューターを中心とするデジタル技術の時代でした。我々の生活のあらゆるところにデジタル技術が使われるようになっています。それで、21世紀はどんな技術が中心になるのでしょう。オムロンは、創業者の立石一真さんの時代から未来技術を予測するのが非常に得意な会社ですから、お聞きしたいのですが。

 今はみなさん、寝ても覚めてもデジタルで大騒ぎでしょう。しかし、米国のポール・サフォー(米未来研究所所長)という学者が、とても面白いことを話しています。「次の大きな潮流はアナログとデジタルの融合である。その後にはアナログコンピューター産業が出現し、現行のデジタル技術は全く意味をなさないものになってしまうだろう」というのです。

 ポール・サフォーと言えば、ダボス会議を主催する世界経済フォーラムでも「明日のグローバルリーダー100人」に選ばれた人ですね。

 そうです。その彼があるところで次のように話しているのですね。

 「1980年代は安価なマイクロプロセッサー(パソコン)の時代で、それは革命的であった。90年代は安価なレーザー(光通信)の時代であり、これも今の時代を創る革命であった。そして次の時代に起こること、それはコンピューターやネットワークにとって、目や耳、その他の感覚器官としての役割を果たす安価なセンサーの出現である」

 センサーを主力製品になさっているオムロンにとっては、これ以上ない後押しじゃないですか(笑)。

 我々は、別に彼に広告料を払ってるわけでも何でもないんですけれどもね(笑)。

 当社の創業者、立石一真がよく「時代の先を読み、それを市場化する知恵が大事」と話しておりました。この「先を読む」という点で、創業者が最も影響を受けたと言っていた、2人の学者との出会いがあります。

 1人は日本におけるオートメーションの提唱者で、産能大学の創立者でもある上野陽一先生。当時、米国で作業者が1人もいない、オートメーション(自動化)工場があると話しておられたのを聞いたのです。

 もう1人は西式健康法の創始者で、米マサチューセッツ工科大学(MIT)のノーバート・ウィーナー氏が提唱したサイバネティックスを日本に初めて紹介した、西勝造先生です。サイバネティックスとはオートメーションとコンピューターと通信を融合した、あえて訳せば「制御科学」とでもいったものですが、西先生も「数学、化学、電子工学、生理学など15種類ぐらいの学問がわからないと理解できない」とおっしゃるほど難解な学問でした。

 ノーバート・ウィーナーは、40年以上前に人間とコンピューターの融合する今の時代で起こることを予見していましたね。彼の著書は米国で「労働者を失業させる問題作」とされて、再版を中止させる労働運動まで起こりました。

 ええ、創業者は当時、それにインスピレーションを受けて、実際の製品開発まで考えたのだから大したものです。それらを元にして食券の自動販売機、銀行のATM(現金自動預け払い機)、駅の自動改札機などを開発して“市場化”してきました。食券の自動販売機はそれほどでもありませんでしたが、自動改札機や銀行のATMなどはそれぞれ大きな市場に育ちました。当時の最先端の学者の思想から得たインスピレーションの成果です。

 その意味で、私はサフォー教授のこの話を、創業者が体験した学者との出会いと同じぐらい重要な位置付けと思っています。だから、96年に当社が米国のシリコンバレーの拠点、「ITセンター」を開設したときに、彼を呼んで基調講演をしてもらったり、お話を聞かせていただいたんですよ。

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