今回ご紹介するのは、経済同友会の代表幹事も務めた富士ゼロックスの元会長、小林陽太郎氏のインタビューです。 小林氏は1999年4月に経済同友会の幹事に就任しましたが、6月に日経ビジネスに掲載された、この記事の中で「市場主義の否定ではなく、その先、次に来る時代を考えていきたい」と言い、同友会として企業の社会的責任について考えていく姿勢を打ち出しています。 小林氏の経営者としての幅広い見方、深い考え方が伝わるインタビューです。
掲載号:1999年6月21日(記事の内容は掲載当時のままです)

1933年4月25日ロンドン生まれ、66歳。56年慶応義塾大学経済学部卒業、58年ペンシルベニア大学ウォートン校修了後、富士写真フイルム入社。63年富士ゼロックスに転じ、70年取締役、78年社長、92年から会長。70年代後半からは日米財界人会議にも出席、米国要人との太いパイプで知られ、1999年4月、牛尾治朗氏(ウシオ電機会長)を継いで経済同友会の代表幹事に就任。(写真:共同通信)
外資進出は日本経済を底上げ
企業人に求められる「公の精神」
財界を代表する国際派が経済同友会の代表幹事に就任した。
株価1万ドル時代に沸く「強いアメリカ」の影響を冷静に分析。
「市場主義」の次に来る新たな「企業の社会的責任」を模索する。
教養を育む教育の問題が今後の日本の最重要課題と強調する。
(聞き手は本誌編集長、小林 収)
米国側の余裕で改善する日米関係
問 5月の連休に小渕首相と共に訪米され、米財界人と対話の機会を持たれましたね。小林会長はもう20年以上、日米財界人会議に関わってこられたわけですが、最近の日米関係はどうですか。
答 財界人会議は本来、民間ベースなのですが、5、6年前はそんな感じじゃなかったですね。双方が政府を代弁して「日本の市場はオープンしてない」「米国側の努力が足らない」とやり合っていましたから。
今はそういう空気はなくなり、電子商取引みたいな新しい分野については日米歩調を合わせようとか、共同プロジェクトを一緒にという空気が強くなってきた。非常に歓迎すべきことだと思います。
何と言っても米国経済が好調だということが背景にある。それを支えている米国企業の自信にもつながっていると思います。いわゆる傲慢さというのではなく、日本に対する一種の余裕というものが感じられます。
問 米国は強いときには優しいですからね。インターネットに代表されるIT(情報通信技術)での優位性が大きいでしょうが、1990年代初めまでの大変な沈滞期を乗り切ってきたことが自信になっていますか。
答 それはあるでしょうね、明らかに。一時期の米国経済は本当にどうなっちゃうか分からなかった。アメリカ人自身が自信喪失していたから、日本に対してもヒステリックなぐらいに文句をつけてきた。そのころの日米財界人会議の空気なんか思い起こしますと、隔世の感がありますね。
ただ、ニューヨーク・ダウが1万ドルを超えていますが、その背後にある米国企業の実力はどうなのかというと、彼らも結構冷静に見ていますよ。「ニューエコノミー」という掛け声に対しても、米経済界はあまり浮かれていない感じです。
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