逆に言えば言葉が軽くなったということが今ほど明確な時代もない。

 マスメディアの発達って実はそのことでしょう。「昨日はニュースがなかったから、今日の新聞はありません」という日はないんだから。あれだけ量を増やせば軽くなりますよ。

 ただ、最近になって情報化社会ができたから人間が変わったわけじゃない。19世紀以降は情報化社会だったんです。人間が情報化して、互いに情報と見なそうという歴史になった。だから人間が軽くなったんでしょう。

 医者を見ていれば分かるけど、患者を診ないで検査の結果しか見ない。検査結果は情報だから整理できるけど、生身の患者なんか整理できないじゃないか、ということになる。

 そういう意味では、生きるうえで他者あるいは自然との関わりを実感しにくくなったのが都市であり近代ですよね。『バカの壁』の中では、人間が都市型の生活をすると「身体」「無意識」「共同体」を失ってバカの壁に突き当たるとおっしゃってます。一種の近代人の病気だと思うのですが、あの本で何を伝えたかったんですか。

 一言で言うのは難しいんだけど、非常に変なところから言うと、結局戦争の続きだね。僕は小学校2年生の時に終戦ですよ。戦争に負けて社会的価値観が大変動した。

 あれだけ価値観がひっくり返ると、倫理も道徳も、口で言っていることはあてにならない。じゃあ、あてになるものは何か、変わらないものは何かと暗黙のうちに考える。そうしたら科学技術なんですよ。

 要するに、東京でちゃんと走る車はニューヨークでもちゃんと走る。つまり普遍性ですよ。そこが抜け落ちていたことに気がついて、戦後かなり優秀な人が理科系へ入った。

 僕だって医学部へ入って普通なら医者になるんだけれど、なぜ解剖をやったか。今思うに、やはり暗黙のうちに確実なものを求めたんですね。お腹を開けて例えば胃袋が2個出てきたとして、解剖で出てきた以上はしょうがない。「人間に胃袋が2つあってはならない」と言っても意味がないんです。解剖にはその種の確実さがある。

 戦後日本はそういうものをスローガンみたいに掲げて走ってきたんだけど、今の時代それが消えた。だから僕らから見ると、世の中どこか変だよという気がする。何が変かと突き詰めて考えていくと、出てくる結論がああいうふうなこと(バカの壁)なんです。

“参勤交代”に参加しよう

 教育の話も書かれています。子供の「身体」を改めて見直そうというと、すぐ政策論では体験を重視する総合学習になってしまいますが。

 僕はね、最近は「日本人は参勤交代せよ」と言ってるんです。年に11カ月は都会で働いてもいいけど、1カ月は田舎へ行って、杉林の間伐でも棚田の修繕でもやって働けと。身体を使ってみたら、考え方が変わるんだから。そう言うと「どう変わりますか」とか聞く人がいる。だからバカなんだ。やってみなければ分からないということが分かっていない。

 大学というところは民間に比べ変化への対応が遅いと批判されますが、大学は本質を失って世俗的な序列の組織になってきたのでしょうか。

 要するに、社会的機能としての大学ということを意識してないんです。東京大学の例で言えば、近くに東京医科歯科大学があるでしょう。じゃあ、医科歯科の病院と東大医学部の病院は何をするところなんですかというと、どっちも決めてない。昔はもう手に負えない患者を東大に送り込むという感じだった。はっきりした機能があったんです、暗黙のね。戦後はそれがない。

 そこで何が起こるかというと、東大なら東大という共同体を作っちゃって、その共同体の勢力争いになる。完全に日本的現象でしょう。

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