日経ビジネスが報じてきたレジェンドたちの言葉をお伝えするシリーズ。今回は解剖学者の養老孟司氏です。ベストセラー作家でもある養老氏は、情報化社会では、医者が患者よりも検査データを見るように、人間が情報化され、軽くなったと指摘します。
一番関心のある人は「表には出ないけど黙って働いている人」と答える一方、「けちな人間ほど権力を握ると離さない」とも。養老教授の気骨を感じさせるインタビューです。
掲載:2003年12月1日号(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

1937年11月神奈川県鎌倉市生まれ、66歳。62年東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。67年医学博士号取得、81年東大医学部教授に就任。95年に退官し、96年北里大学教授就任。大正大学客員教授を兼ね、98年東大名誉教授。『バカの壁』(新潮新書)は今年4月の出版以来、発行部数が180万部を超えた。このほか、『からだの見方』(筑摩書房)、『形を読む』(培風館)、『唯脳論』(青土社)など、著書は専門の解剖学、科学哲学から社会時評まで幅広い。(写真=共同通信)
今春出版した『バカの壁』が180万部を超す大ベストセラーになった。
戦争を覚えている世代から見ると、今の日本はどこかおかしい。
著者が考える、戦後日本が失ったものとは。
(聞き手は本誌編集長、原田 亮介)
危ない「エリートの壁」
問 『バカの壁』があれだけ売れたのは、社会の規範になっていた世間常識のようなものが崩壊し、それを嘆く時代の空気が広がっているからではないですか。
答 あの本が売れることが、そもそも変なんだよ。今までずっと同じことを書いてきたのに全く売れなかったんだから(笑)。
いや、なぜ売れたのか説明できますよ。タイトルが良かったし、新書というのが手軽だった。それに僕が話したことを話し言葉で文章にした人がうまかった。
もう1つ大きな裏がある。それは携帯電話とメールです。あれは何だと言ったら、毎日作文してるの。1億総作文。本人はおしゃべりの続きと思って書いてるわけだけど、脳の機能から言うと、おしゃべりの続きなんてものはない。書き言葉と話し言葉は脳の違うところで作る。だから必死で頭を使ってる。そうしたら、何と新しい言文一致体ができてきた。明治以来、100年経って。
問 新しい文体が生まれたと。
答 新聞社の人なんかは「活字離れはけしからん」と言うけど、新しい文体で本を作ったことがない。だから(文語文でない)この本が売れたということで、一番反省しなければならないのは新聞ですよ。
普遍性追求の姿勢が消えた
問 メールや携帯電話の登場で、コミュニケーションという意味では何か変わると思いますか。
答 いや、僕はコミュニケーションという言葉は使わない。活字とか書かれたものって、そこにごろんと転がっているものであって、見た人がどういう感想を持つかはその人の勝手だから、コミュニケーションなんかない。
今の人は意思を通じさせられると思っているんですよね。そうじゃない。言葉というのは礫つぶての投げ合い。ただ、こうやって向かい合っていると分かることがある。それを以心伝心とか言ったわけですよ。「話せば分かるなんて大うそ」というのはそのことです。
だけど、その感覚を変えるのはすごく難しいですよ。今の人は全面的に言葉は「軟らかい」ものだと思っているし、使い捨てだと思っているしね。だから不良債権だらけになるんですよ。返すという約束を守らないんだから。「不良債権」と言ってごまかしているけど、あれは「不良借り主」だろう。
問 銀行の頭取も「状況が変わりました、景気が悪いせいです」と。
答 僕が子供の時は、一発で「言い訳」だと言って切られたよ。
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