今回は1990年代に苦境に陥った米国IBMを復活に導いた、プロ経営者、ルイス・ガースナー氏のインタビューをお届けします。
マッキンゼーを経て、カード会社、食品会社の経営に携わったガースナー氏は、1993年、IBMトップに就任します。
大型汎用機の分野で圧倒的な強さを誇っていたIBMは当時、コンピューター業界で起きていたダウンサイジングの競争に苦しんでいました。しかしガースナー氏はIBMの真の強みを探り、同社はインターネット技術を使った経営革新手法「e-business」へと乗り出すなど変化を遂げたのです。
掲載号:1999年10月4日号(記事の内容は、掲載当時のものです)

1942年3月 米国ニューヨーク州生まれ、57歳 63年、ダートマス大学工学部卒業。65年、ハーバード大学ビジネススクールで修士号を取得、同年マッキンゼー入社。アメリカン・エキスプレスで社長、RJRナビスコで会長兼最高経営責任者(CEO)を歴任した後、93年4月にIBM会長兼CEOに就任。(写真:ユニフォトプレス)
変化を受け入れる企業文化を確立
自己満足せず常に改革し続ける
前会長の分割案を実行していたら、復活はなかったと明かす。
変化の必要性を社員に理解してもらうのが変革の第一歩と強調。
日々刷新し、競業に挑戦する文化が企業を存続させると説く。
(聞き手は本誌編集長、小林 収)
新たな戦略をすぐ打ち出してはダメ
問 IBMが1990年代初めの経営難を乗り越えてここまで復活できた最大の要因は何でしょうか。
答 非常に複雑で、一言で答えるのは難しいですが、IBMが抱えていた問題は、リーダーシップと企業文化の危機にあったということでしょう。IBMは長年大きな成功を収めてきたために、変化に抵抗しました。成功した企業が必ずかかる病です。
ですが、根本的な問題によって競争力が失われていたわけではなかったのです。経営危機の間もずっと、IBMは優れた知的財産を生み出していました。IBMは過去30年間、国籍を問わずあらゆる国から優れた人材を採用してきた、私が来た当時も、それらの人たちがまだ会社に残っていました。だから復活できたのだと思います。
問 企業文化の変革は難しいと思いますが、最高経営責任者(CEO)に就任された当初、何から手をつけたのですか。
答 第1にやったことは、会社を安定させ、社員や顧客に「IBMは復活できるし、IBMには将来があるのだ」と信じてもらうことでした。当時、財務状況は急速に悪化しており、顧客どころか、社員からの信頼も失っていたからです。
最初の2年間は、まず土台の再構築に費やしました。損失に歯止めをかけるべく、市場でのシェアを上げ、高収益体質に変えるようにしました。その間、新たな戦略の策定を進めてはいましたが、当時はまだそれを打ち出す時期ではありませんでした。社員が、「新しい戦略が会社を救ってくれる」と安易な考えに陥らないようにするためです。
問 いくらビジョンを打ち出しても、企業文化や社員の姿勢をすぐに変えるのは難しいというわけですね。
答 その通りです。多くのCEOが、会社をリストラする場合に2つの過ちを犯しがちです。第1は新しいビジョンを安易に打ち出すこと。現在の問題から脱却するために、別の企業に変身すると平気で宣言する。大した努力もせずに大変革できると考えてしまう。
もう1つCEOが犯しがちな過ちは、社員に変化しろと命令して、それで終わってしまうことです。変化を好む人はあまりいませんし、ほとんどの人は変化を恐れるが故に、変わろうとしません。会社を大胆にリストラしようとするCEOは、日々社員と話し合い、「なぜ、会社が変わらなくてはならないのか」を理解してもらい、変革を推進していかねばなりません。
だから私は最初の2~3年、「なぜ変化が必要なのか」を社員に理解してもらい、変化を受け入れる組織を作っていったのです。そして、会社のリストラに必要なあらゆる難しい決定を下しました。報酬体系や評価制度、意思決定方法、そして組織を変えました。こうしたことをせずに、単に「違う会社になる」と宣言するだけでは、株主や社員は苛立つだけだったでしょう。
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