今回お送りするのは、1995年3月に掲載された、ダイエー・中内功氏へのインタビューです。スーパーマーケット事業で成功を収め、“流通王”とまで称された中内氏が率いたダイエーは、90年代に入り、本業の不振に加え、バブル崩壊に伴う地価下落の影響で業績が下降していきます。そこに95年1月、創業の地・神戸で大地震が発生。ダイエーも大きな被害に見舞われましたが、幹部以下、社員が一丸となって店舗を営業し、神戸の復興に取り組みました。
しかしダイエーの不振はその後も続き、関連事業の縮小・売却を余儀なくされ、最終的にはイオン傘下に入ります。
中内氏は第二次大戦時、最前線で戦闘と飢えを経験しました。復員してからは、日本の消費者に豊かさを提供しようとスーパーマーケットを作り、事業を拡大していきました。結果的には経営に失敗し、自身が育てたダイエーを手放さざるを得ませんでしたが、中内氏の事業に賭けた闘志、さらに消費者への思いは、インタビューに答える彼の言葉から、鮮烈に伝わってきます。
掲載:1995年3月6日号(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)。

1922年 8月 兵庫県生まれ、72歳。
41年12月 神戸高等商業学校(現神戸商科大学)卒業
57年 4月 大栄薬品工業(現ダイエー)を設立。社長に就任
82年 5月 ダイエー会長兼社長に就任
震災以来、1日も休みを取っていない。表情には疲れもにじむが、強気の中内節は健在だ。「我々に勤務時間なんてない。毎日が“日曜日”や」。1日も早い神戸復興に向け、全力投球を続ける。
(写真/ユニフォトプレス)
日本の「無責任」体制が露呈した
問 阪神大震災の発生からほぼ50日が過ぎました。復興に向けた政府・自治体の具体策は大きく遅れています。震災で被害を受けた民間企業のトップ として、何が問題だと感じますか。
答 リーダーシップがどこにもないということやな。今一番必要なのは、多少の反対があっても責任を持ってやる、というリーダーシップなんだ。これが政府にも自治体にもない。会議ばかり開いて、だれも責任を取らないという日本の体制が露呈してしまっている。
現実に20万人近い人が家を失って、今も避難所で毛布にくるまっているわけでしょう。大切なのは自由、平等、博愛の精神だとか、センチメンタリズムとかじゃない。次のステップで何をするかということなんや。
問 それなのに、会議が堂々巡りするばかりで何も前に進まない。
答 会議というのは、要するに「無責任」そのものなんですよ。何かやろうとすると、必ず反対の声が上がる。だから、「できるだけ責任を回避しよう」、「だれも反対しないことをやろう」とする。でも、みんなに不満がないというのは、結局、だれも満足しないということなんだ。
例えば義援金の配分にしたって、平等に分けようと「全壊は10万円、半壊ならなんぼ」と言っている。でも、全壊と半壊をどうやって判定するのか。ここでまた会議になるわけだ。
Powered by リゾーム?