全7176文字

日経ビジネスの50年の歴史の中から、著名な経営者たちのインタビューをお送りするシリーズ。今回は、本田技研工業の創業者として、日本の自動車業界を牽引した経営者、本田宗一郎氏の登場です。社長退任後、本田技研工業最高顧問時代のインタビューですが、本田氏の言葉からは、失われることのないベンチャースピリットが伝わってきます。

掲載:1976年1月5日号(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

「自分のやめどきを選べない社長は間抜けだ」、「命令で人は動かない。納得ずくの経営が必要」、「能力のある人に多く払ってこそ会社はよくなる」、「教育ママは学校の下請け化している」、 「日本人は名前を憶えず、食事のマナーも悪いし、ユーモアもない」── 。 社長を引退して2年、余生を楽しんでいる最中という本田宗一郎本田技研工業最高顧問の舌鋒はかえってさえわたる。世の中を本田流哲学でながめると次のようになる。 (聞き手は本誌編集長 吉村 久夫)

本田 宗一郎氏
明治39年11月、静岡県磐田郡光明村に、鍛治屋の長男として生まれる。69歳。昭和14年、浜松高等工業専門学校2学年修了で中退。昭和23年、本田技研工業を資本金100万円で設立。オートバイの生産を開始。27年、小型エンジンの発明で藍綬褒章を受章。48年10 月、社長を引退して取締役最高顧問となる。上智大学とミシガン工科大学の名誉工学博士。一男、二女はすべて結婚、孫は目下4人。1時間の対談時間中も、じっと座っているのがもどかしそう。(写真/Takeyoshi Tanuma/Getty Images)

 本田さんのように社長業を楽しんでおられたようにみえた方でも、引退されるとホッとされますか。

 本当に社長業をやめるとこうもすっきりするもんかと思うな。それに、すっきりするというのにも条件があるんですね。譲ったあとの社長や役員、従業員が一生懸命やってくれて成績がいいですからね。そういう点では、恵まれてるね。自分の好きな仕事をやって譲ってからあとも皆しっかりやってくれていますからね。最高じゃあないかな。

 会社のことはもうほとんど口出しされないんですか。

 全然。今日はひと月ぶりぐらいでここ(本田技研本社)へきたほどです。こことは縁を切ってるからね。わたしは離れたところにわたしの城(本田事務所)があるから。ここに事務所を持ちますと、つい口もすべりますしね。従業員としても、やめたとはいってるがどうもすっきりしない、という気持ちが残ると思いますね。両方にいいんじゃあないですか。やめたという実感が湧きますね。藤沢(前副社長)もなんかこっとう品をこちょこちょやってますね。あれはすきだから。おたがい、やめたあと自分の好きなことをやってるなんて最高だよ。まあ日本一、世界一幸せな人生じゃあないのかなあ。