中曽根康弘元首相が11月29日に亡くなった。同氏は1990年、湾岸危機の際に、イラクで捕らわれた日本人の人質を解放するのに尽力した。「同氏はイラクにおもねることなく、イラクの行動は明らかに間違っていると明確に指摘した。ともすればイラク側にすり寄る発言が目立つなか、『さすが大物』とうならせるものがあった」(著者の保坂修司氏)。安倍政権は今日、12月27日、自衛隊の中東への派遣を閣議決定する予定だ。

米国が主導する「海洋安全保障イニシアチブ」が本格化する。日本も独自に自衛隊の派遣を決める。(写真:AP/アフロ)

 中曽根康弘元首相が11月29日に亡くなった(関連記事「『怒らない宰相』中曽根康弘氏の人間像を元・腹心が語る」)。中曽根氏とはイラクの首都バグダード(以下、バグダッド)でお会いしたことがある。1990年11月のことだ。この年の8月2日、イラクが隣国クウェートに侵攻、たちまちのうちに併合してしまった。世にいう湾岸危機である。

 同年8月19日、イラク当局より、「(クウェート在住の)西洋人(al-Gharbīyūn / Westerners)とオーストラリア人はクウェート市内のどこそこホテルに集まれ。従わない場合は何が起きても責任は当該政府にある」とのお触れが出た。そして、イラクは集まった西洋人たちを捕らえて、人質として戦略的要衝に連れていったのである。

 「日本人は西洋人ではないから大丈夫」などとの甘い考えは通じず、やがて日本人も人質となることが明らかになる。つまり、日本人は、イラク人から見れば西洋人だったのだ。湾岸危機のとき、イラクの人質になったアジア人は日本人だけ。当時すでに中東で日本に匹敵する経済活動を行っていた韓国人も台湾人も、そして中国人も捕まらなかったのに、日本人だけが捕まってしまったのである。

 人質たちは、米国などによるイラクへの軍事攻撃を防ぐために、「人間の盾」として利用された。もちろん、イラク側は人質と呼ばず、「客人(guest)」だと主張していたが、欧米メディアは捕まった人たちをしばしば「guestage」と呼んでいた。「guest」と、人質を意味する「hostage」を組み合わせた造語だ。

 クウェート在住の外国人の多くがイラクに連れていかれ、人質になったことが明らかになると、世界各国、特に米国とともに多国籍軍に参加している国、あるいは米国と協調している国は頭を悩ませることになった。もちろん人質の存在が自国の対イラク政策に影響を与えるからだ。一部には、「人質がいようがいまいが、悪いものは悪い。イラクを力ずくでクウェートから駆逐すべきだ」「イラクが人質に危害を加えようが、また、人間の盾になっている人質が多国籍軍の攻撃の巻き添えになろうが、やむをえない」と主張する者もいたが、憲法上の制約がある日本はそう単純に割り切れるものではない。

 ちなみにクウェートにいた在留邦人245人はバグダッドに移動させられ、そのうち213人が拘束された。また、イラク在住邦人は215人がイラクから出国できなくなっていた。最大で460人もの日本人が、イラクによって事実上の人質に取られたわけだ。中曽根氏は、この日本人の人質解放のためにイラクにやってきたのである。

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