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 中曽根康弘元首相が11月29日に亡くなった。同氏はいかなる業績を残したのか。著書『中曽根康弘 「大統領的首相」の軌跡』をものした服部龍二・中央大学教授が中曽根氏の一生に迫る。

 中曽根康弘は戦後日本を代表する政治家であった。首相在職は安倍晋三、佐藤栄作、吉田茂、小泉純一郎に次いで戦後第5位となっている。宮澤喜一が2007年に他界してからは、戦後史を通しで語れる首相経験者は中曽根だけになっていた。

著者(右)と中曽根康弘氏。服部龍二(はっとり・りゅうじ)。中央大学教授。専門は日本政治外交史、東アジア国際政治史。1968年生まれ。92年に京都大学法学部卒業、97年に神戸大学大学院法学研究科単位取得退学。政治学博士。主な著書に『中曽根康弘 「大統領的首相」の軌跡』『広田弘毅 「悲劇の宰相」の実像』『高坂正堯--戦後政治と現実主義』など。

 少し前に会ったときは血色もよく、「未来を語るスピリットが現代人には足りていない」、「健康の秘訣は悩まないこと」などと語っていた。拙著『中曽根康弘』(中公新書)を謹呈したところ、帯を見つめながら、「写真がいい。こういう表情ができる政治家は、いまはいない」とも述べていた。

 歴代首相で最高齢記録だった東久邇稔彦の102歳に迫りつつあっただけに、突然の訃報に驚いている。

米中韓と同時に良好な関係を築く

 第71代総理大臣となる中曽根は1918年に群馬県高崎市で生まれた。海軍、内務省を経て政治家に転身しており、同期当選には田中角栄、鈴木善幸がいる。中曽根の原点は、吉田首相を「官僚秘密外交」と批判し、自主憲法を訴えて「青年将校」と呼ばれたことにある。原子力政策を推進したのも中曽根である。

 少数派閥を率いた中曽根は、批判していたはずの佐藤政権に急接近して運輸相として入閣する。防衛庁長官としては「自主防衛」を唱えるなど、保守最右翼のタカ派と目された。

 中曽根が台頭したのは「三角大福中」と呼ばれる派閥抗争が最も激しい時期である。自民党の主流ではなく、「角福戦争」の間で目まぐるしく立場を変え、その右顧左眄(うこさべん)ぶりから「風見鶏(かざみどり)」と揶揄(やゆ)された。同じ群馬3区の福田赳夫が経済財政を専門としたのに対して、中曽根の真骨頂は外交安全保障にある。

 1982年に64歳で念願の総理に就任すると、中曽根はサミットなど得意の外交で発言力を高めた。ロナルド・レーガン米大統領とは「ロン」「ヤス」と呼び合うほど緊密であり、中国の胡耀邦総書記とも関係を確立した。日本の首相として初めて韓国を正式訪問したのは中曽根であり、全斗煥が韓国大統領として初来日したのも中曽根政権期である。

中曽根康弘首相(左、当時)とロナルド・レーガン米大統領(右、同) (写真:DOWNING LARRY/GAMMA/アフロ)

 米中韓と同時に良好な関係を築ける首相は極めてまれであろう。日本の国力は最高潮に差し掛かっており、経済摩擦など負の側面もあったにせよ、中曽根の外交は戦後日本外交の頂点といってよい。