ISの指導者だったアブバクル・バグダディ(写真:Islamic State Group/Al Furqan Media Network/ロイターTV/アフロ)
米軍特殊部隊は2019年10月26日、シリアのイドリブ県ハーレム郡バーリーシャー村近郊に潜伏していたテロ組織イスラーム国(以下、IS)の指導者アブー・バクル・バグダーディー(以下、バグダディ)を殺害した。一報を聞いて驚いたのは、バグダディの潜伏場所がシリア北部のイドリブだった点だ。なぜ驚いたのかと言えば、イドリブは、シリアのアサド政権に反対する反政府勢力の拠点であり、しかもそうした勢力の大半がISとも激しく敵対していたからだ。
個人的には、バグダディの潜伏先はシリアとイラクの国境付近ではないかと見ていた。このあたりは、バーグーズやブーカマールなどISが最後まで拠点を維持していたところであり、ちょっと行けばイラク国境を越えられ、追っ手をまきやすいということも念頭にあった。
もちろん、トルコ国境近くにいるのではないかとの説もあったので、ISウォッチャーにとって想定外というわけではなかったろう。実際、現場のバーリーシャー村は、さまざまなジハード主義勢力が入り込んでおり、主たる勢力は「シャーム解放委員会(HTS)」であるものの、少数ながらISの細胞もいたようである。
しかし、バグダディがISのライバル組織の家に隠れていたというのはまったくの想定外であった。バグダディが潜伏していた家の所有者はアブー・ムハンマド・ハラビーという人物で、「フッラースッディーン」という組織に属していたとされる(この人物も米軍により殺害されたもよう)。この組織はアルカイダの事実上のシリア支部であり、ISと対立していた。ISの源流の一つがアルカイダのイラク支部であるのは言うまでもない。そのISがアルカイダと対立しているのをいぶかる人もいるだろう。まあ、一種の近親憎悪と言えるかもしれない。
シリアには、アルカイダのシリア支部的な位置づけをされる組織として、フッラースッディーンのほかに、上述のHTSがある。ところが、この2つもまた仲が悪い。外部から見れば、ISも含め、みなアサド政権と戦っているし、イデオロギー的にも大した相違はないはずだが、現実には互いに衝突し合っている。もちろん、バグダディ自身はアルカイダのメンバーではなかったので、アルカイダ系組織と対立しても何とも思わなかっただろう。
分派と合従連衡を繰り返し複雑化したジハード組織の関係
閑話休題。バグダディとフッラースッディーンの関係だ。なぜバグダディは、対立する組織のメンバーに保護を求めたのだろうか。モスルとラッカというISの首都が陥落したのち、バーグーズなど最後の砦(とりで)まで失い、追い込まれていたことは間違いない。どこに逃げるにせよ、選択肢はそう多くなかったはずだ。比較的説得力のあるのは次の2つであろう。
1つ目は、家族をトルコに逃がすためという説だ。現場であるバーリーシャー村はトルコ国境から目と鼻の先であり、実際、バグダディの姉や妻が事件後に、トルコ国内で拘束されている。潜伏先を提供していたハラビーは、今回のケースでは、フッラースッディーンの幹部であると同時に、そしてそれ以上に、密入出国をアレンジする業者であった可能性がある。バグダディが家族と思しき女性や子どもと一緒にこの場所に潜伏していたのも説得力を増している。
むろん、バグダディ側が相当な対価を支払ったことが考えられる。フッラースッディーン側が資金難に陥っていたことも伝えられていたので、背に腹は代えられないということもあり得るだろう。
2つ目の説は、フッラースッディーンの中にISのシンパがいたという見立てだ。フッラースッディーンは、HTSから枝分かれしたグループとされ、そのHTSは、元をたどると、ヌスラ戦線となる。ヌスラ戦線は、そもそも「イラクのイスラーム国」(ISI)の指導者だったバグダディがシリア内乱を見て、シリアに設置したジハード主義組織。その意味でヌスラ戦線はIS(当時はISI)のシリア支部とも言えた。
しかし、その後、ISIが「イラクとシャームのイスラーム国」(ISIS)と名前を変え、ヌスラ戦線を再統合しようとすると、ヌスラ戦線の一部はそれを拒否。アルカイダ本体に改めて忠誠を誓い、ISと衝突するようになったのである。
ただし、そのヌスラ戦線も「シャーム征服戦線」と名を変え、やがてアルカイダと断絶。他の組織とともにHTSを新たに結成する。そして、その中からアルカイダとの関係を継続させようとするグループが分離してできたのが「フッラースッディーン」だ。
このように複雑に入り組んだ関係なので、各メンバーがそれぞれの組織のイデオロギー上の相違をきちんと理解できるはずもなく、どの組織に属すかは、恐らく、人的な関係や個人の好み、その場の状況によるものが大きいと考えられる。
したがって、アルカイダをボロクソに非難するISが、アルカイダに忠誠を誓っているはずのフッラースッディーンの中にシンパを持っていたとしても不思議はない。実際、今年2月にフッラースッディーン指導部はメンバーに対し、ISと接触した者は除名だとの警告を発している。このような警告が発せられること自体、ISと接触するメンバーがいたことの裏返しであろう。もちろん、単に金で動いた可能性も高い。真相はやぶの中だ。
預言者ムハンマドの曽祖父の家系を名乗る新カリフ
米国がバグダディ殺害を発表した数日後、IS側も指導者の死亡を認め、自前メディアで追悼特集を組んだ。その中で、バグダディに代わる新しいカリフを紹介した。名前をアブー・イブラーヒーム・ハーシミー・クラシーという。明らかな偽名だが、名前の後半部分の「ハーシミー・クラシー」というのは注目に値する。
ハーシミーとは「ハーシム家出身者」であり、クラシーは「クライシュ族出身者」を意味するからだ。クライシュ族は、預言者ムハンマドが属していたマッカの名門部族。ハーシム家はそのクライシュ族の中のハーシム・ブン・アブドマナーフに連なる系譜である。そして、このハーシムは預言者ムハンマドの曽祖父に当たる。
一般にスンナ派(以下、スンニ派)の古典的政治理論は、カリフになるためにはクライシュ族の出身でなければならないと規定している。したがって、このアブー・イブラーヒームなる人物はその要件を満たしていることになる。一方、ハーシミーのほうは、預言者の曽祖父の家系に連なるということで、単にクライシュ族というより、より高貴な家柄に属すことになる。
今回死亡したバグダディは、フセイニー・クラシーと名乗っており、やはりクライシュ族の出身だと主張していた。フセイニーとは、預言者ムハンマドの孫であるフセインの系譜であることを表しており、文字どおり預言者の血を受け継いでいることになる。もちろん、アブー・イブラーヒームもバグダディも本当にクライシュ族出身なのかどうかは不明である。
ちなみに現在のヨルダン国王もこのハーシム家だ。こちらは、フセインの兄・ハサンの流れをくむ。
新カリフは正体不明
問題は、このアブー・イブラーヒームなる人物が誰だか一切分からないことだ。バグダディの場合、カリフを自称する数年前から、本名を含めある程度の素性が知られていたのだが、新「カリフ」はほとんど手掛かりすらない。10月31日にISが出した声明の中では、米十字軍を保護するものを彼が攻撃し、苦汁をなめさせていたと描写されている。このことから、恐らくイラク戦争後のイラクで米軍およびシーア派主導のイラク政府と戦った経歴の持ち主であり、そこから恐らくイラク人だろうと推測される。
バグダディ死亡前の今年の夏ごろから、アブダッラー・カルダーシュなる、イラク北タルアファル出身のイラク人をバグダディが後継者に指名したとの説がメディアでずいぶん報じられた。アラビア語メディアだけでなく、欧米語メディアでもだ。これは、ISが運営する通信社とされるアァマーク通信がそのように報じたものが、SNSで取り上げられ拡散した。
しかし、アァマークのこの「報道」は明らかに捏造(ねつぞう)であり、ISがそれを認めたことは一切ない。とはいえ、アブダッラー・カルダーシュの名前はISの幹部としてかなり早い段階で知られていた。その頃はトルコマーン人だといわれていた。
他方、最近では、彼がクライシュ族出身であり、大学でイスラーム(以下、イスラム)学を学んでいたと伝えられるようになった。とすれば、アブダッラー・カルダーシュこそアブー・イブラーヒームの有力候補と言えよう(ただし、アブダッラー・カルダーシュは、「オマルの父」を意味するアブー・オマルという名前で知られている。新カリフの名前、「イブラーヒームの父」を意味するアブー・イブラーヒームとはずれてしまう)。
一部の報道によると、アブダッラー・カルダーシュは、イラクで米軍に拘束され、一時期キャンプ・ブッカに収監され、そこでバグダディと出会ったともいう。となると、米国はこの人物の詳細をつかんでいることになろう。
ISの勢力範囲を示す(?)忠誠の誓い
ISの新報道官は10月31日の声明で、新カリフに対し忠誠の誓い(バイア)を行うよう呼びかけている。それに呼応するかたちで、筆者が把握している限り、以下の地域から新カリフに忠誠を誓う声が上がっている(ほぼISの公式チャンネルによる公開順)。
シナイ県(エジプトのシナイ半島)、ベンガール(バングラデシュ)、ソマリア県、パキスタン県、イエメン県ベイダー、シャーム県ハウラーン(シリア)、ホラーサーン県(アフガニスタン)、チュニジア、西アフリカ(ナイジェリア?)、シャーム県ハイル(シリア)、シャーム県ラッカ(シリア)、中央アフリカ(コンゴ民主共和国?)、シャーム県ハイル(シリア)、シャーム県ホムス(シリア)、タジキスタン、西アフリカ県(マリ、ブルキナファソ)、シャーム県バラカ(シリア)、東アジア県(フィリピン、インドネシア?)、シャーム県アレッポ(シリア)、イラク県北バグダード、イラク県ディジュラ、リビア県バルカ、イラク県ディヤーラー、イラク県サラーフッディーン、イラク県キルクーク
本拠地であるはずのイラクからの忠誠の誓いが他地域よりも遅れているのは何か意味があるのだろうか。また、これまでISが支部(県)や拠点を置いていると主張していた地域の中では、サウジアラビア、アルジェリア、イラン、インド、トルコ、コーカサス、スリランカ、カシミール、アゼルバイジャンなどが抜け落ちている。今後、こうした地域から忠誠の誓いが出てくる可能性はあるが、いまだに忠誠の誓いが出てこないところを見ると、これらの国・地域ではISの勢力が減退しているのかもしれない(なお、アルジェリアからは忠誠の誓いは出ていないものの、ISアルジェリアが11月22日、アルジェリア軍兵士を殺害したとの「犯行声明」を出している)。
追記:11月23日と24日、メッセージング・システムのテレグラムで、ISなど過激派組織が声明発表などに利用しているボットやチャンネルが一斉に削除された。テレグラムのISIS Watchは、従来1日200件前後のボットやチャンネルを削除したと発表していたが、23日と24日の2日間だけでそれぞれ2096件、2959件のテロリスト・ボット/チャンネルを削除したと主張している。したがって、23日以降の情報については抜けがある可能性がある。
(敬称略)
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