
まもなく政治の表舞台を去るメルケル独首相は、脱原子力と難民受け入れという大胆な政策を断行。新しい知見を得たら、それを踏まえて変革を実現する政治家だった。後編は脱原子力と新型コロナウイルス危機対策を総括する。
(前回はこちら)
社会主義時代の東ドイツで科学者として働いていたアンゲラ・メルケル首相は、普段は専門家などの意見をじっくり聞き、様々な選択肢を比較衡量した上で冷静に判断を下す。しかし同氏がこの原則から離れて、大胆な判断を感情的に下した出来事が2つある。1つは2015年の難民受け入れ、もう1つは2011年の脱原子力政策である。当時、国民の大半が支持した脱原子力政策に、今になって逆風が吹き始めている。
メルケル首相はもともと原子力エネルギー擁護派で、2010年の秋には電力業界の要請に応じて原子炉の稼働年数の延長を決定した。同首相は「緑の党の原子力に対するアレルギーは理解できない」と語ったこともある。
エネルギー政策を180度転換して、脱原子力を断行
だが2011年3月に日本の東京電力福島第1原子力発電所で起きた炉心溶融(メルトダウン)事故が、メルケル首相の態度を180度転換させた。同氏は「私の原子力に対する考え方は、楽観的過ぎた。日本ほど高い技術水準を持つ国でも過酷事故を防げないのだから、私は責任を持って原子力エネルギーを使用し続けることができない」と断言し、2022年末までに原発を廃止する法案を議会でスピード可決させた。
ドイツの技術者たちは当時「ドイツの原発は安全であり、すべて廃止する必要はない」という鑑定結果をメルケル首相に伝えた。だが同首相は、技術者の提言を無視し、再生可能エネルギー拡大を求める倫理委員会の提案を採用した。
倫理委員会で提言書を書いた委員は哲学者、社会学者、宗教関係者などで、電力業界の関係者は1人もいなかった。委員たちは「原子炉事故が起きた後に、被害者の救済や地域の除染のため何兆ユーロのカネを投じるよりも、そのカネを再生可能エネルギー発電設備の建設に使った方が効率が良い」と主張した。メルケル首相は後年、「脱原子力は、私の任期中で最も勇気を必要とする決断だった」と語っている。
ただし当時は、地球温暖化や気候変動に歯止めをかけるための二酸化炭素(CO2)削減の緊急性が現在ほどクローズアップされていなかった。ドイツが示す2038年に脱石炭に踏み切る予定は、フランス(2021年)や英国(2024年)に比べて大幅に遅い。その理由の1つは、英仏が原子力発電を使い続けるのに対し、ドイツが原子力発電所を2022年に廃止するからだ。
ドイツの製造業界からは「風力や太陽光による電力供給は、原子力や石炭、褐炭に比べて大きな変動にさらされる。再生可能エネルギーの比率が高まると、電力需給が逼迫して、大規模停電の可能性が高まる」との懸念を表明している。
このため今年の夏以降、メルケル首相の与党であるCDU(キリスト教民主同盟)や経済界から「メルケル首相の脱原子力決定は誤りだった」という批判の声が高まっている。首相候補だったCDU党首のアルミン・ラシェット氏は「脱原子力の後に脱石炭を行うのは誤りだ」と述べたほか、同党のフリードリヒ・メルツ元院内総務は「我が党では多くの人々が、反原子力運動の波に押されて2011年に脱原子力に踏み切ったのは間違いだったと考えている」と述べた。ザクセン州のミヒャエル・クレッチュマー首相(CDU)も脱原子力政策を見直すべきだと主張する。
2016年にはドイツ連邦憲法裁判所が「脱原子力決定によって、経済損害を受けた」とする大手電力会社の主張を部分的に認め、メルケル政権は今年約24億ユーロ(3000億円)の補償金を支払わされた。
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