まもなく政治の表舞台を去るメルケル独首相は欧州統合の維持に尽力すると共に、難民受け入れという大胆な政策を断行。新しい知見を得たら、それを踏まえて変革を実行する政治家だった。だが難民政策が保守政党を弱体化させ、極右政党に初めての連邦議会の議席を与える「副作用」も生んだ。

EU首脳会議に出席したメルケル首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
EU首脳会議に出席したメルケル首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

 ドイツのアンゲラ・メルケル首相はブリュッセルで10月22日、同氏にとって最後のEU(欧州連合)首脳会議(欧州理事会の首脳会合)に出席した。黒いマスクを着け、赤紫色のジャケットをまとっていた。同首相は在任中の16年間、この会議に107回出席した。この記録は当分打ち破られないだろう。

 メルケル首相の最大の特徴は、感情や体調を顔に表さないポーカーフェースである。その身体的・精神的なタフさに、各国の首脳・報道陣は舌を巻いた。首脳会議はしばしば徹夜となったが、同首相は対立する国々の間に立って調停し合意をまとめ上げた。

 メルケル首相は2005年11月の首相就任から3カ月後、初めてEU首脳会議に出席した。この会議では、フランスのジャック・シラク大統領(当時)と英国のトニー・ブレア首相(当時)がEU予算をめぐって激しく対立した。このとき、メルケル首相は両者の主張に慎重に耳を傾けた上で妥協案をまとめ上げ、対立を解消した。

 この出来事は、各国首脳に「ドイツの新しい首相は、高い調停能力を持っている」という評価を植え付けた。メルケル首相自身も、後に行われたインタビューで「私は対立する人々の意見を聞いて、両方が受け入れられる案を提示する作業が好きだ」と語っている。

欧州きっての火消し役

 その後、メルケル首相は様々な危機への対応に奔走し、「欧州の火消し役」「危機対応首相」と呼ばれた。リーマン・ショックに続く世界金融危機(2008年)、ギリシャ債務危機に端を発するユーロ危機(2009年)、ロシアによるクリミア半島併合とウクライナ内戦(2014年)、難民危機(2015年)、英国のEU離脱(ブレグジット、2020年)、新型コロナウイルス危機(2020年)――。メルケル首相ほど多くの危機に対応した経験を持つ首相、大統領は欧州に一人もいない。

 2008年の世界金融危機は、経済の専門家ではないメルケル首相にとって大きな試練だった。当時、ドイツの金融機関の中にも、不良債権の重圧のため破綻の危機にさらされるところが現れ、市民の間に不安感が広がった。

 筆者はこの年の10月、メルケル首相の発言に驚いた。同首相は、連邦首相府の廊下に並ぶテレビカメラの放列の前に立ち、「我々は、ある金融機関が経営難に陥ったために、ドイツの金融システムが不安定化することを許さない。我々はドイツの全ての預金者の蓄えが安全であることを保証する」と述べたのだ。傍らには、当時財務大臣だったペーア・シュタインブリュック氏が立っていた。

 この発言がドイツの金融市場に安心感を与え、銀行への取り付け騒ぎは起こらなかった。

 実は首相と財務大臣の「預金を全額保証する」という口頭での保証には、法的な根拠はなかった。もしもこのとき、記者団が「法的な根拠は何か」と追及していたら、同首相は苦しい立場に追い込まれていたはずだ。だが幸いなことにそうした質問は、出なかった。シュタインブリュック氏は、回顧録の中で「このときにはカミソリの上を歩いているような心境だった」と述懐している。

次ページ 「メルケルのいないEUは、エッフェル塔のないパリ」